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いつもひっかかることがありましてね

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「モジリアーニ」 NEKO美術館発

この画家の何とかテンヌ このモデルになっている女性は フランス人でもあるかもしれないけど 日本人にも見えます。そうは思いませんか?
私には 彼女が画家を許しているようにも見え 疲れ切っているようにも見えます。
そうだエビテンヌじゃなかった?エビフライじゃないことは確か。

こどもにどこか共通項があるように 彼女に共通している女性は いるような気がします。自分にとっても懐かしい全体の雰囲気ですね。


今日見つけたファイルでは わたしは
「自由」について書いています。
ー自由とは どんなものだろう。
子どもが小さいとき「自由がほしい」と思う。 ところが子どもが私のスカートのすそをひっぱらなくなったら そこには老いた親たちがいた。
こんなふうだと 死ぬまで自由なんてものは得られないのかもしれない。

不自由あっての自由と ちょっとコインの裏表のように 考えてもみます。
自由に最も近いもの 見つけたこともあります で やがて「自由はどこだ」
とまた探しはじめました。

これが 2008年頃 書いたことです。

2018年 自分は こっそり隠れ家にかくれるのが 自由だと 思っています。
これでも長いことかかって 見つけた 自由です。
こっそりかくれているあなた あなたもそうなのですか?

エビテンヌは モジリアーニが死んでしまったとき お腹が大きいのに 毎晩帰りの遅い彼のことを 待って 腹も立てて 疲れ切ってたのかなあ などと想像するのですが。
また 結核になっていた 彼は 未来を描けなくて かといって 治療することもなく
絵を描き続けていたのかなあ とか。そんな重苦しい生活の中で 若いエビテンヌは
妊娠中で不安定で まだ小さな子供もいたのだし とか。
そこ、モジリアーニのことについて 書いてありましたか けっこう エビテンヌの学生時代の写真 独特の美人だけど そういうのは 新たに出てはくるんだけど わたしにはいつもひっかかることが ありましてね。
女の側からの 想像。
《 2018.02.24 Sat  _  日記(日々) 》