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ガーシュインたちの秘密

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「ガーシュインたちの秘密」久保田二郎 個人的意見小説新潮臨時増刊 1985

「数年前の五月、僕は一人でパリに滞在していた。
 連日文句なしの晴天つづきだった。五月のパリはまるで初夏のようだったし、夏時間だった故もあって、太陽がしずむのは九時過ぎという毎日だった。
 僕は毎日部ブラブラとしていたが、それでも意識的に小さな心地よいホテルをみつけたのはモンパルナスのババンの交差点の横を入ったところだった。」


久保田二郎という人がどういう方なのかわたしにはわかりませんが この書き出しは
このページに付き合ってみたいと思うのです。1980年代か そのころにはテロの脅威もなかったと思います。
ジョージガーシュィン(1898−1937)の「ラブ・イズ・ヒアー・トゥ・ステイ」の最後の作曲なる美しいバラードが使われた映画「パリのアメリカ人」のなかの舞台になった場所を一週間がかりで発見した。
「そのうち時もくれば ロッキー山脈だって 
くずれるかも知れない、ジブラルタル海峡だって
あふれかえってしまうだろう。
そんなものって、土くれなんだもの。
だけど、われわれの愛だけは永遠に残るのだ」

ジョージ・ガーシュインの兄のアイラの詞も非常に
秀れたものだ。
 それにしても、この兄弟は実に絶妙なコンビだった。
 彼等は共に旅行し、ヨーロッパを訪ね、ニューヨークでは
同じペント・ハウスに住み、ハリウッドのビバリー・ヒルズでも
隣り同士だった。 
 それは勿論、作詞家と作曲家という関係なのだからそれが」
一番便利なことだろうが。

きょうは ここらへんまで わたしはこのページと歩いてみました。
久保田二郎のように 自分の探していた場所などがあり 映画のこと
パリが自由で 芸術の中心であったころのことを 知っているからこそ
いいんでしょうね。一緒に歩いていてゆったりした気分になりますね。
「ピカソとその周辺」を読んでいてよかったと思います。

みなさんは 「パリに行ってみてーなー」と思われますか?
わたしは 「やっぱり この内容がいいなあ」と 思うんです。
「ラブ・イズ・ヒアー・トゥ・ステイ」はタブレットで聞ける筈

《 2017.12.21 Thu  _  1ぺーじ 》