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人差し指の接点

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「スーザンチャンチオロウ」 2017 12

以前のファイルを いつものように開いて見ていますと
「ファッション」のファイルが出てきました。改造服やファッション画

2002年に美術手帖で ハンドメイドの革命 というので
スーザン・チャンチオロが特集されていました。
自分がブローチをオブジェと呼びたがったのも この人が当時の
ファッションというくくりから 視点を変えてみた(のではないか)
同じような流れだと その服のつくりかた 出てきたものを見て
かってに いつものように思ったのでした。

大きくちがうのは 自分の場合は いっぱい作ったブローチが 個展でこてんぱーに
売れなかった事から それをオブジェと呼んだわけで
スーザンの場合は 世の中に 革命を起こした事でしょうか
で 確かな事は 「げんきがでたでーチャンチオロー!」と自分がこのアトリエで
声を上げた事でしょうか。
自分は つくったものが 何年かして しわだらけになっていたら
「このしわは なにか感じさせてくれるものがある」となったり
自分の つくったものに 穴があいていたら 「この穴を開けた虫は どこへいったんだろう」「これで腹一杯か」「寿命はいかほどだったんだろう」とか

それは チャンチオローと人差し指で そっと触れるぐらいの 共通項はないだろうかとか(E・Tやん)

きょう 頭をよぎったのは(朝のフトンの中でだけど)「セロファン袋の中の作品」
しっかりめがさめて 朝ご飯食べて それから続きを考えたら
「そのセロファンの中身は 今までので いいのか?」「いや あの革新的な(?)ゴムペンダントも」「絵とそれらのものは 同じ位置にある」「哲学にする?」「足もとに転がるできごと」

おたよりをくださった ふあさんは言います 「11月11日の荒川眞一郎の言葉もおもしろい」

パリ行きを計画しているクリエーターにアドバイスを。に答えて荒川さんは
ーパリは遠いけれど、行くことによって 自分の足もとに転がっていた何かが見えて来るかもしれません。
ふあさんは このあたりが新鮮だったらしくて ここからが 自分にとって大事な言葉なんですが「このNEKO美術館を見ていてもそうなるなと感じています」こう書いて下さっています。

そうか 自分は足もとに転がっているものに 関心があるのか そう感じてくれる人がいるのか いいなあ 「おもしろいことは家の外にはない」と自分の目の前の壁に はってあるんです。そのほかには「おきてみたら おもしろいことがまっているかもしれない」とか「延命治療はしないでください」とかいろいろはってるんですけど。

この写真のチャンチオローの冊子は 料理のことと むすめさん(こども)の絵とか
英語版でした。でも自分は わかるのです。
「ぺらぽん」を初心者のまま 十年以上つづけているから 同じ匂いがするのです。
しかし 大きくちがう所は わたしのような 彼女のファンが かなりいそうなことです。(* ぺらぽん ぺらぺらな本 超薄っぺらい本)

ともだちで 「どんな展示会をしたいのか それは この頭のなかでは すべてできてるんだけど」そう言って 手振り身ぶりで その詳細を 教えてくれる人がいるんです。
わたしはその表現にこそ 魅力を感じていて 聞かせてもらうのです。
だって わたしも フトンの中から このアトリエにやってきて パソコンに向かうまでの間 すでに展示会は できあがっているのですから。

「実行はどうした?」ですか。こまったなあ


《 2017.12.11 Mon  _   》