「猫たちの隠された生活」エリザベス・M・トーマス
カラハリのライオン
群れの規模はときおり変化したが、10頭をくだることはなかった。わたしたちにはライオンの寝ぐらは見つからなかったし、探そうともしなかったが、彼らがどこにいるかはわかっているつもりだった。ライオンがいっせいに集まる朝や、昼のあいだ眠っていたライオンが動きはじめる夕暮れに、ときどきその声が聞こえたからである。というわけで、数平方キロの一帯に、人間がおよそ三十人、ライオンが10頭以上、チータ一頭、豹一頭、そして少なくともハイエナが五頭、つまり五十近くを数える捕食生物が暮らし、その全員がおなじレイヨウの集団を狩り、全員が同じ水場から水を飲んでいたのだった。
できるかぎり鉢合わせを避け、時間をずらして資源を手に入れるというのが、土地を共有する集団同士の習慣だった。 人間とチータは昼間に、ほかの捕食動物は夜に。昼夜の区別は人間とライオンはとくに重要だった。人間は狩猟と、そして採集のためにも明るさが必要であったし、ライオンは、狩りをするにも大きな体は目立ちやすく、暗闇の方が好ましかった。昼のあいだも彼らの体を隠せるぐらい背が高く、生い茂った草むらはめったになかったのである。
ひとつの集団が食糧調達に動きはじめると、べつの集団は固まって眠りにつく。鉢合わせが少なくてすんだのは、どちらの集団も昼もしくは夜の活動を遅めに開始する習慣のおかげだった。ライオンは人間がまだ家に帰りついていないたそがれどきは避け、夜がふけてから狩猟を開始した。
人間のほうも、日がかなり高くなるまで野営地から出かけず、ライオンに遭遇することもなかった。 つまりは、明け方になって夜の狩りを終える夜行性の捕食動物に出くわすことはなかったのである。
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おたがいに 生きるためにというのが 暗黙の約束事なんですね。それは動物側からの
意思表示なのかもと。動物は長い間に レッスンして来たのかもしれないと。それを破る動物はよほど腹ぺこのとき以外はないのかもと。動物の側に立ってみるなんて あまり意識したことはありませんでした。ここまでに そういうことがしっかり書いてあるわけじゃないんでしょうけれども そういう思いになるのは 不思議ですね。