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ここはどこなんだ?

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アトリエはもうなかった NEKO美術館発

これは1988年に描いた作品ですね
一枚版画と 自分では思っていましたけど クレパスで一枚色を塗って
それから えんぴつで ぐっともう一枚に押し付けて 描くとこうなるんですね
その後 空なんかを クレパスで描いたりしてね。

このやりかたでやると 直に描くより なんかいいんですよね
このやり方?(誰も聞いてえへんって) 子供のとき よくやったことの一つです

こどものころ いろんなことがはやったり それにすぐ影響される方でしたからね それを 思い出すとすぐやってみるんですよ。
このせんでいくと 第2のゴッホだなあ なんてことを思ってやってるうちに こういうやり方も いつのまにか忘れてしまうんです。

この場所は大阪の交野市の アトリエの窓から見た 風景です。
向こうは製材所かな そこで子犬を貰って ミッキーってよんでたんです。
でも製材所じゃなかったかもしれません だっていつもその建物は背中を見せているわけで おもてにわざわざ まわってみるということは ないですからね。

しかし この景色を 何度も描きました。 それだって アトリエに毎日のように行ってたからです。 大屋さんには悪いけど このアトリエは ほんとにおんぼろでした。
でも 私は そのふるいかんじが好きで 夫は ベニヤ板でつっくった でかい机で
絵を描いていました

いちおう 夫婦して画家ということで それも超貧乏画家ということで 保育所に子どもらを入れて 私は 上沼恵美子さんのなんだったかなあ ラジオ番組をききながら 絵や布でアートしていました。後にオブジェの材料になるものは ゴミ拾いに自転車で行って調達しました。 ゴミ拾いに行く時は 自宅から出るのですが それを持ち帰るのはこのアトリエです。 ゴミ満載で 上気した顔をしてここにやってくるわたしを この周りの人は けったいなやつやと 思ってたかもしれませんね。

たしかに けったいなやつでしたよ。
でね そのアトリエはちょっと奥まってるんですけど 表通りに出ると おくのショップというなんでもやさんがあって 奥さんはつぶしのきく人で その店の前でお好み焼きと焼きそばを 焼いていました。お昼ご飯は たいがいそれでしたね。奥さんは世間話が
おもしろくて イタリア人のママのように 太ってて 一回スケッチさせてもらったことがあります。
数年前その場所に行ってみたんですが なくなってました まるで夢のようにね。アトリエも おくのショップも。

あ 長話になりましたね。
絵の前にステージをもう一場所作ると 奥行きが出てなかなかいいですね。 




《 2017.10.05 Thu  _   》