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猫たちの隠された生活

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「猫たちの隠された生活」 エリザベス・M・トーマス 写真は「リサ ラーソンの作品集」の表紙 ピエ・ブックス 2009のものです

カラハリのライオン つづき

 ときどき豹が岩場の上に長々と寝そべっているのも見た。だらりと股を広げ、ふあふあした白い毛でおおわれた陰部をまるだしにして。チータが住む開けた草地に出かけたときには、その頭や肩が草のむこうに見えた。しかしわたしたちが徒歩であるいは車でどこを訪ねても、また夜のあいだに水場で夜行性動物の生態を何度観察しても、ライオンは一頭たりとも見かけなかった。
 わたしは茂みの中でたまたまライオンに出くわしたらどうするかと、ブッシュマンに訊ねたことがある。そういう事態に遭遇したら、迷いのない足取りで、相手の正面は避け、
自分の斜め前へと歩きだし、ライオンを興奮させたり、追跡の気分を誘ったりしてはいけないと言われた。何度か人々はその歩き方を実際にやって見せてもくれた。しかしガウチャでは、全くライオンに出会えなかった。わたしたちの人数と滞在した日数をかけ合わせると、のべにして少なくとも五十年ぶんぐらいいたことになるのに、修得したテクニックを実践する機会は一度もめぐってこなかったのである。
 しかしそのテクニックが使われる場面を、目撃したことはある。カラハリの水のない区域のはずれに深い灌木の茂みがあるのだが、ある日その近くで弟とわたしはライオンに遭遇した。彼の全身は太陽を浴びて黄金色に光り、たてがみも黄金色だった。彼はとても大きく、現在のカラハリにいるほとんどの動物とちがって、肉体的な条件もすばらしかった。牙の痕跡も爪の痕跡もひとつもなく、骨格には充分な肉がついていた。わたしたちは全身をこわばらせ、その場に立ちつくした。彼の存在感と美しさにのまれたのである。彼はわたしたちをひたと見すえて、じっと動かなかった。どれほどのあいだそうしていたのか、わたしにはわからない。弟とわたしは射すくめられたように、なにもできなかった。そこで行動を起こすことになったのはライオンのほうだった。穏やかに、堂々と、悠様迫らぬ態度で。わたしたちを意識しながらも攻撃的な視線を浴びせることなく、彼のほうが
迷いのない足取りで、斜め前の方角へと歩きはじめたのだ。
 その邂逅(かいこう)はわたしたちにとって_少なくともわたしには_忘れられないものになった。ライオンとは数メートルと離れていなかったから、わたしは命の危険を感じてもいいはずだった。しかし彼の心ははっきりと伝わったし、彼の物腰はじつに悠然としていたから、恐ろしいともまた危ないとも、いっさい思わなかった_ひたすら感嘆し、胸躍らせていたのだ。その鮮やかな引き際、冷静で超然とした態度物腰で、まさしくライオンは不要な衝突を避けたのだった。おなじような状況でおなじような態度を示す人がいたら、紳士的で洗練された剛毅な人物と言われるだろう。わたしたち人間のあいだでも、悠然たる対応ぶりは、まったくおなじ理由から好もしい結果を生むものだ。

***

このとき どういうわけか アフガニスタンでの中村哲さんのことが 出てきました。
エリザベス・M・トーマスのこの邂逅は なんともいえないものだったでしょうね。
人と人 人と動物 未熟なわたしは次の言葉が見つかりません。
みなさんはどうですか

わたしたち人間のあいだでも、悠然たる対応ぶりは、まったくおなじ理由から好もしい結果を生むものだ。

《 2017.10.07 Sat  _  1ぺーじ 》