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百日草

スキャン3237.jpeg「百日草」 NEKO美術館発 2017 9

キース・ヘリングとパトリシア・フィールドの作品に会った 中村さんの美術館
の話をしましたよね。 私はあまり遠出はしないので そういうことが実行できた時は
何度も話しますよ ほんと。
夫セイは 例の美術館で買った帽子をかぶって 「せっかく来たんだから このままじゃなあ」といって さらににそこから1時間半ぐらいかかる 湖に行こうかと そこで弁当買って食べようと言い始めました。
「あっ またはじまった。一つじゃ納まらないんだ」
私は 遠くを見ました。気が進まない時は そういうふうになるのです。みなさんはどうですか? でそれをみたのか夫セイは 「近場で 適当なところで 弁当食うか」といいました。近場といっても ここはけっこう家のないところで あるのはスポーツ練習場だとかスキー場。
9月といえば夏の終わり そこにあらわれたのが 大きな熊で というのはうそですが そんな感じのところなんですよ。 花の展示会場がそこだけ光をさしたようににぎわっているのです。フリーマーケットの会場かと いちものようにはっとしましたが。 
「関係者だけです」 そう書いてあるので なかにはいれないのなら外から見るか などと言いながら 歩いていくと でっかい花畑が現れたのです。
天国だったら もう少し印象深い花畑のはず そこは 百日草だけで 本当に広い花畑なのです。500円払うと花畑の裾野まで行って 8本その百日草をはさみで切って持ち帰ってもいいということでした。
百日草というのは言葉の通り 百日までもは わかりませんが とても長持ちをする花で
田舎で育った私は 畑の隅っこに お墓詣りの時に その花をきって持っていくためにだけ咲いていると 思っていました。あの頃からしたら 百日草も 色の数がふえているようではありましたが 私はそういう思い出の たいくつな花でいしたね。

「カートで行きますかそれとも歩いて?」
最初に係の人に聞かれました。で 歩くことにしました。短くかった広い草道を 百日草をみながら 歩きます。 暫く歩くと裾野。 そこで百日草を切って 元来た道を2人であがります。ここは高原です。 
久しぶりに 息切れと 胸が痛くなりました。たおれるほどではないですが りゅっくを背中に まるくなって 胸をおさえて歩きます。 歩みを止めて上を見ると まだまだ歩かなくてはならないようです。
夫セイは 足の裏は相変わらずジャリが入ったようだそうですが もう鍛え方が違います。プールに散歩にひまがあれば体操して 体を動かしています。
数年前 足が痛くて歩けなくなって 医者通いを長くしましたが 大したもんです。
私は ずっと下を向いて 上を見ないようにして やっと元のところに戻りました。

上の作品は そのときの百日草ですが 逆光でこんなふうに。
で こんなときにこそ 切ったりはったりをしよう と思いましたよ。障子のまえの百日草 花瓶は 母が婦人会をやめる時にいただいた 記念の品ですか。 私はこんな大きな花瓶から捨てていこうと思っていました。どっかの喫茶店のテーブルにちょこんとあるような小さな一輪挿しでいいと思い始めていたからです。
もとはといえば「だんしゃり」の息子が「おかんは 何でもかんでも増やし過ぎやわ」と私にいったので そうしているのですが その子が「それは残して置いたらええんとちゃう?」というのです。 母の文机も きっとだんしゃりされるだろう と恐れていたら 「これはいいなあ ここにおこう」と 私の感覚とはちょっと違うのです。

何の話でしたっけ?

そうそう 久しぶりに 夫のご両親 私の両親に 花を。
それにしても 盛り上がらないこの花のある光景。
そしたら 夫セイが「この 無造作に入れた花 結構いけるから 絵にしてもいいなあ」
と。

《 2017.09.29 Fri  _  日記(日々) 》