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生きるとは

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「生きるとは自分の物語を作ること」 考える 新潮社 2008

河合隼雄 小川洋子 対談 つづき

河合 ええ。覚えていたら言いたくなるでしょ。でも忘れているんやから言えない。
見事に忘れているんです。面白い夢を聴いた、というぐらいしか覚えてない。
 だから来た人が前に話されたことは完全に忘れていると思っている。ところがしゃべっているうちに、三年前にその人から聴いた話が心に浮かんで来る。「先生よう覚えておられますね」て喜ばれるんですが、覚えてるんじゃないんです。出て来るんです。
小川 どこかに仕舞ってあったんですね。
河合 そう、どこかに仕舞ってあって、その場にふさわしいものが出て来るんです。
小川 「ものすごくうまいこと」が起こるんですね。
河合 そう。それはもう僕の力じゃない。一度忘れたものが出て来るんやからね。
小川 あぁー。引出しは地球ですからね。
河合 そうそう。ぽっと出てきたら言うし、出てこれへんのはもちろん言えへんから黙ってるし。仕事を始めた頃は、患者さんが帰られた後も、「どうしてるやろう」「死んでるんと違うやろか」とずっと考えていました。経験を積むとそれがなくなります。
小川 祖父がやってた金光教の教師は、「お結界」に座って信者さんの話をずっと聴いているんです。それで最後に言うことはいつも決まっていて、「じゃあ、金光さまによくお届けしておきましょう」っていうんです。お広前で遊んだりしながら聴いていたんですが、これなら私でも出来るなって、いつも思っていました(笑)。
河合 いや、それは出来ないです。絶対出来ないですよ。でも日本はそういう場がオープンなんですね。周りでみんなわいわいやってても構わない。
小川 キリスト教の教会の懺悔室なんかはすごく閉ざされていますけど、祖父がお結界に座っていたのは、それは広々した空間でした。

***

仕事を始めた頃は、患者さんが帰られた後も、「どうしてるやろう」「死んでるんと違うやろか」とずっと考えていました。経験を積むとそれがなくなります。河合

祖父がやっていた金光教の教師は、「お結界」に座って信者さんの話をずっと聴いているんです。それで最後に言うことはいつも決まっていて、「じゃあ、金光さまによく届けておきましょう」っていうんです。小川

なんでしょう これらの言葉を聞かせていただいてますと そのとき(きた人もその時の会話の)言葉はすぐに忘れてしまう河合さん。しかしどこかにそれは仕舞ってあって、その場にふさわしいものが別の時に出てくる。
それはもう僕の力じゃない。そうなんですね。
こういうことって 人は どこかで救われたいと思っているんですね きっと。 その相手は自分より ものごとがよくわかったと思われる神様だとか 霊能者だとか 河合さんのような人がいいですよね。 こたえ? それより聞いてもらってると思うと 自分の気持ちが出てきたりして 「じゃあ、金光さまによく届けておきましょう」そういうことなんだ。どういうことなんだ?そういうこと(笑)


このノリコの作品はね ちょっとこわいよね。霊能者みたいに見えてしまったわけじゃないですよ。葛飾北斎の気分になって波とか架空の竜だとか描いてみようとしたらね こういうふうになったんです。




《 2017.09.28 Thu  _  1ぺーじ 》