「生きるとは自分の物語を作ること」 考える 新潮社 2008
河合隼雄 小川洋子 対談 つづき
西欧一神教の人生観
小川 手を下した側の人も、物語を持っています。アイヒマンというナチの高官は、亡くなった方々の記録を見ても、自分の罪を決して認めないんです。
懺悔しない。自分は命令されて役人としての仕事を果たしただけだ、というところで止まっちゃってるんです。それより先に絶対行こうとしない。
彼には小さい男の子がいて、その子に「ウサギ」とあだ名を付けて可愛がっていた。「君にも可愛いウサギがいるじゃないか。その子と同じような子供を、君は殺したんだ」って言われると、「ユダヤ人だったから仕方ない」と言う。メチャクチャな論理なんですけど、彼の中ではそれが砦なんです。そこで泣き崩れて、後悔し懺悔するという方が、彼には辛いんでしょうか。
河合 泣き崩れたりしたらその人は人格がなくなりますから。ところが日本人は、泣き崩れてもちゃんと人格があるんですよ。そこが欧米人と日本人のものすごい違いですね。
小川 日本人には逞しさがあるということでしょうか。
河合 いや、逞しさというより、そういうカルチャーだからということでしょうね。そこはちゃんと考えていかないといけない。
***
日本のカルチャーと西欧人のカルチャーは 違うということを 考えていかないといけない
小さな子供を殺しても「ユダヤ人だったから仕方がない」アイヒマンのなかではこれが砦なんです。だからここで後悔して懺悔するという方が、彼には辛い
裁判でのアイヒマンを記録映像で見ました。
あれが彼の中の物語ですね
自分も含めて いろいろな物語があることは わかります。
多くの人々が アイヒマンの言動を驚きを持って聞きました。
しかし われわれは それぞれの言い分を持って 生きて来ているわけですね。
*
ノリコの部屋です いつも突然ですが。
この写真が 何を表しているのか わかりますか。このわからない空間が 説明することなく そのままにしておくのが このごろいいなあ これが抽象画っていうもんじゃないの?と勝手に思います。
以前は 手紙の宛名も 描く絵も 自分にも 人にも とりあえずわからないと 「いけない」とよく思いました。
そう思っているもんですから 時に わけのわからないことを描いても 迷路の中に居るようで ちっとも面白くなかったんです。
で いまごろ 特に写真なんか 「想像の余地のあるのがいいじゃん」なんて思えたりして。河合隼雄さんと小川洋子さんの対談を打っていますと たくさんの写真の中から カードのように写真一枚を引っ張り出して 「これが きみの今日の出番だよ」そう思うのが いいんだわなー