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生きるとは

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「生きるとは自分の物語を作ること」 考える 新潮社 2008

河合隼雄 小川洋子 対談 つづき

西欧一神教の人生観

小川 『源氏物語』の中にも「物の怪」みたいな者が出てきます。
河合 そうですね。物の怪なんていうのは実体があるわけじゃない。近代的解釈をすれば、見た人の心の中にあるもんです。夕顔の心の中にも、源氏の心の中にも物の怪がいて、それが実体化してみえてくるというわけやね。
小川 その物の怪が死の世界へ導く水先案内人みたいになっている。でも彼らの暮らしぶりを見ていると、本当にそういうふうに、フッと油断していたらすぐ何かが捕まえにくる
とか、引っ張って行かれるみたいな雰囲気がありますよね。
河合 今はそういうのがない分、大量殺人とか大量の死亡事件かが起こるわけですよ。昔は何百人もの人が一挙に死ぬなんて、天変地異でもなければなかった。戦さだってほとんど死んでない。負けて逃げ帰った者は、後で捕まって殺されてるけどね。
小川 昔は一対一の死ですよね。
河合 ところが今は一人の人間が一度に大勢を殺せる。飛行機なら数百人ぬ。
小川 私は、人が大勢一度に死ぬということに対してどうしても素通りできないものを感じるんです。自分でも理屈がつかないんですが、人が大勢死んだ場所に、つい吸い寄せられて、アウシュビッツにも行きました。去年(2005年)の夏は、御巣鷹山の日航機事故から二十年でした。関連本が書店に出たのですが、あの一日朝日新聞がどういうふうに事故を伝えたかというドキュメントの本があったんです(『日航ジャンボ機墜落ー朝日新聞の24時』1990年、朝日新聞社刊)。その巻末に、乗客全員の氏名。年齢・住所、乗っていた目的が、それぞれ一行で書いてありました。今だったらたぶん、個人情報保護法で出せないと思うのですが、それを、一日中でも読んでいられるんです。
河合 いや、そうでしょうね。
小川 そこには何の感情も込められていない。たとえば「何の何某(四十幾つ)、会社員、東京での出張の帰り」というように書いてあるだけなんです。
河合 でもその一行は、全部一つ一つの物語を持っているんですね。
小川 そうなんです。何冊もの本を読んだような気分になりました。

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河合 でもその一行は、全部一つ一つの物語を持っているんですね。
小川 そうなんです。何冊もの本を読んだような気分になりました。

そうですね。写真なんかも 物語を思ってしまいますね。
小川さんは アウシュビッツのあったところとか 引き寄せられるように行ってしまうと
おっしゃってますね。それぞれ自分の物語を われわれはしゃべりたいんじゃないでしょうか。河合さんや小川さんのような方に ゆっくり 聴いて欲しいんじゃないでしょうか。そして小川さんは そういう宗教観を持っておられる。 というのも金光教の教師であるお父さんは 人の話を聞いて 神にとりつぐ役割を ていねいに腰掛け方まで言われたでしょう? 

人々が そんな間もなく 死をむかえてしまったとき
今 生きている者は 深く「この人たちはどんなふうに生きて来た人なんだろう」と
思いますね。
しかし生きていても もしかして 誰も聞いてくれないかもしれません。

そういうときのために オロナミンCドリンク
何の話でしたっけ?

そうそう 「NEKO美術館」は「のりこの物語」なんです なんちゃって


この丸いものは 山を横目に 存在感の塊です。
ふふふ これはね いただいた 「おやき」
《 2017.09.10 Sun  _  1ぺーじ 》