who am ?I

PAGE TOP

  • 08
  • 23

生きるとは

スキャン3169.jpeg
「生きるとは自分の物語を作ること」考える 新潮社 2008

河合隼雄 小川洋子 対談 つづき

「死」への思い、「個」への執着

河合 そういうことです。まさに「出家」は「家出」ですから。それでそういう時に「絆」という同じ漢字が使われているのは面白いでしょう。「絆し」を断ち切って出家するから意味があるんだけど、初めからなかったら家出は価値がないんです。今の若者たちは、その絆がなさすぎて、出家もクソもないということなんですよ。何していいかわからない。ニートなんかがそうだと僕は思います。
小川 なるほど。
河合 縛られていたら飛び出るんだけど、何かボヤボヤっとしてるから、何もできない。
小川 コンビニに行けばとりあえずお腹もいっぱいになるし、コンピューターを開けば面白いことはあるし。
河合 何か強いシガラミがあって、それを断ち切って出るという、そういう体験がない。メリハリがない。もうほんとに何もなしですよね。何もないんだからものすごく難しい。

***

「出家」と「家出」この二つの言葉が今までにも出てきていたんですかねえ。いっしょくたにして打っているかもしれませんね。出家は ちょっと高尚なイメージで 家出と言うとネガティブな感じとか すてっぱちの高校生みたいな。自分の勝手なイメージですが。

ここのページだと 何か強いシガラミがあって、それを断ち切って出るという、そういう体験が 若者たちにないってことですか。
私も そうかもとも思いますが いまの若者は そういうのかなあ そういう傾向があるのかなあ とも言えないんじゃないのもたくさんいるかも と思うこともあります。
めちゃくちゃ 自分にしたら気を使いながら 打ってると思いますよ。だから読んでる人は「何が言いたいんよ」 そう言いたくなるでしょう。
というより家出とか出家という環境の薄い中で そのやりかたに当てはまらなくて しかし それなりにやりたいことも 多少あり という人たちとか 「悩み過ぎて今のところ動けません」なんて若者のいることを もう少し認識をひろげていかないと そう思うことがあります。
つよく「どっちかや!」と回りが叫んでも すくんでしまうばかりの若者もいるでしょう? 
その点 出家や家出の時期をとりあえず 通過した私は 親から 回りから つつかれることもありません。 「そんなんでいいの?」 とまたもや まわりは ぐいと押すのかもしれませんね。

なんでそんなに押すんよ(笑い)


さて押すなビッチ・のりこでございます。
きのう 読書会に出ましたよ。赤瀬川原平(漢字合ってる?)さんのことを話しました。多くの作品や写真 私は興味を持っているのです。その写真集の中で 道端で小さな虎やヒヨコやこいぬを並べて売ろうとしているところを 見つけました。 「よーこんなぼろぼろのボストンから出して これはどこの国やろ?」そう思いました。

でも こういうことが ありえる この国が かえって自由に見えました。後ろには自転車。これはおじさんでしょう。日に焼けた手。顔は映っていません。
自分は このおじさんになってみようと 想像をふくらませました。
ええっと 箱と できれば つぎのあたった 大風呂敷を用意しよう。
自転車は もうあぶなっかしくて乗れないけど 乗れるつもり。ゴミ拾いに出かけていったあの7年間を思い出そう。
小さなものは いっぱいあるけど いっぱいだと この淋しさは出ないし 一つ一つがいっぱいにまぎれて よくない。
私は 気が向けばしゃべるけど だまっていよう。 じっといすにこしかけて ひがな行き交う人や景色を眺めていよう。

 
《 2017.08.23 Wed  _  1ぺーじ 》