「生きるとは自分の物語を作ること」考える 新潮社 2008
河合隼雄 小川洋子 対談 つづき
小川 漢文というと、公式文書みたいなものでしょうか。
河合 ええ。男たちがかいてる文章は「誰それが宮中に行った。天皇は元気であった」とか、だいたいお決まりのことです。それは漢文で全部書ける。でも、気持ちを書こうと思ったら日常使っている大和ことばでしょ。それで平仮名が出来てくるわけです。そういう条件が全部揃ったところで、紫式部が出た。あの頃は、清少納言でも菅原孝標女でも書いたのは女子ばかりです。読むのは男も喜んで読んでおったみたいですけどね。
小川 『源氏』より以前の世界では、人が死ぬということについては「誰それが死んだ」という漢文の記述でしか残っていない。『源氏』のなかで初めて、どういうふうに死んだ
か、それをどういうふうに思ったかというように、人の死の場面が描かれたと先生がおっしゃっていて、なるほどと思いました。平仮名で、女性が心を描くということで、初めてそれが出来た。
河合 『源氏』は世界に誇れますね。西洋では14世紀になると、ボッカチオ(1313−75)などが出てくるけれど、話は全部アンチ・キリスト教的です。人間も物語を作れるんだ、神さまだからってどうだ、というような。反骨精神で作るわけです。それが始まりです。
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『源氏物語』を男も読んでたんですね。
大和ことばが 平仮名のはじまりか 日本はよくいわれますけど 外から入って来たものを 自分たちにあったものとしていくのがうまいんでしょうかね。
空蝉 源氏物語に出てきますよね。 セミと関係ありましたっけ。一週間で死んでしまうというはかなさもありますが。 私はまえにも書いたと思いますが 『源氏物語』は牧 美也子さんので読みました。
もう一回読んでみることにします。で アトリエで記憶のある所を探してみますと きれいなふろしきにつつんで ありました。
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さて のりこ紫 夏バテにて しんどいです みなさんはいかがですか。
空蝉 ふむ この空というのは何なんでしょう。
家の植物園に(いや たいしたことないんですが)音もなくとまる イトトンボ。
このか細さ 源氏を取り巻く女性に このイトトンボもいても不思議じゃないんですけど
かげろうはありましたよね。これにお株をとられたのかも。
いつもの 独自の見解はこれぐらいにして