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生きることは

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「生きるとは自分の物語を作ること」 考える 新潮社 2008

原罪と物語の誕生 つづき

小川 その罪を根っこにして、また果実が実ってくるんですね。
河合 ええ。僕らは、そこまでは付いていかないといかんです。
小川 母親は子供を亡くすと、それが病気や事故で、自分に責任がない場合でも、必ず「自分が殺した」とか「自分がもっとこうしていれば」って、非常な後悔で残りの人生を生きがちですよね。
河合 そのとおりです。だけどそのことを、重荷として苦しんでばっかりおったら意味ないわけでしょ。その荷物を礎にせなアカンわけですよ。
小川 荷物を頭の上に載っけているのではなくて、生きていくために踏んばる足を支えるものに変えるということですね。
河合 そこまではやっぱり、付き合わないとならんですね。そういう時、原罪というものを柱にして持っている宗教があると知っているということは、ものすごく強いことです。そういう意味で僕らは、いろいろ勉強する必要がある。一方で、よほどのことでも、どこかの物語の中に必ずあると言っていいんじゃないかと思っています。

***

その罪を根っこにして、また果実が実ってくるんですね。

そうか 宗教によっては 「自分は何も悪いことはしていないけれど、生まれつき罪があるんだ」「生きていることが罪」これを原罪というんですね。
たしかに 一回も悪いことをしたことはない なんてことはないわなあ
自分も そうは思ってはいましたが それだけのものなんかではないのですね。 
このことが子供を亡くした母親が 非常な後悔で残りの人生を生きがちなのを この原罪というものを柱にして持っている宗教があると 知っていることで 強く生きようとすることにつながるんですね。

そして生きていく知恵は どこかの物語の中に必ずある そう河合さんは言っておられますね

「生きていくということは 物語なんかじゃなくて 本当のことよ」
自分は よくそう思ったものです。「これ ほんとの話 それとも お話?」とテレビや本を見るたびに そんなことを聞くので 「おまえは よく それ きくなぁ」と夫セイに言われます。 その中では 「お話はうそだから いい加減に聞くわ」ぐらいなとらえかたしかしてませんでした。いやあ 未熟ですね。
原罪についても 「これ 昔からそういうことを考えてたんでしょ ネガティブよね 相手にもそういうことを求めてるの?」と。
しかし人間が 悲しみや後悔に襲われる事態があったとき それは 強い支えになる 役に立つことばだったんですね
これも 明日になると忘れているかもしれないですが いままでにしみついたこうしたことへの考え方が 今ちょっと変化しているのかも。

 被爆体験をいろんなところで話し続けている ローザ・節子という方をテレビで見ました。核をなくそうと言い続けていて そのことは国連にまでとどきました。
学校にも話しに行っておられます。 女学生が節子さんに 「日本は多くのアジアの人たちを殺しました(アジアのいろんな国を挙げて)それは...(もう忘れてる)」
それに対して 「私が広島 長崎の原爆のことを考えるとき もう一方では 日本人に殺された多くのアジアの人のことを考えます」そう言われました。
後で その女学生に「あなたの気持ちを乱れさせましたか?」と節子さんは聞き 女学生は 「質問に節子さんはちゃんと答えてくれました」と言っていました。
これらの言葉はうろ覚えで正確ではないかもしれません すみません
しかし このやりとりは 心が温まりました。こんな人と人のやりとりの積み重ねが
相手に届くんでしょうね。許し許されるというのは まだまだ遠いのでしょうが 節子さんのような人が 日本人でいてくれてるんだなあと。
講演をするまえに 言葉を選び どう話したらいいかなあと 緊張で爪をかみながら 原稿を何度も読んでる姿には 感心しました。

節子さんの言葉は 人々の心に響きました。まだ核をなくすにはいったってはいないですが 少しずつ 変わっていっていることを 見せてもらったということと。まだ実現には遠いことであっても こうしてやりつづけることは とても大事なことなんだと あらためて 教えてもらったような気がします。
8月になると 70年前に起きたことや 第二次世界大戦のこと 私は 夫セイが見ているので 一緒に見ることになります。そして それらの番組で やはり 戦争を体験した人の話 原爆にあった人の話 その人たちがどう生きてこられたのか そういう話には やはり 一生懸命聴き入ってしまいますね。

あれ何の話でしたっけ?


ノリコの部屋では 台所での景色ですが これはなんでしょう

 



《 2017.08.13 Sun  _  1ぺーじ 》