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生きることは

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「生きるとは自分の物語りを作ること」 考える 新潮社 2008

河合隼雄 小川洋子 対談 つづき

現在と物語の誕生

小川 人間が困難な現実を、自分の心に合うように組み立てなおして受け入れるというのは、私もよくわかるんですけれど、ときどき、例えば地下鉄サリン事件に遭って助かった方だとか、尼崎の脱線事故で助かった方、あるいはアウシュビッツから帰って来たというような人の中に、罪悪感を持つ人がいますよね。
河合 います、います。
小川 自分は助かったけどみんな死んだ。何で自分は助かったんだろうと思い悩む。オウムやJR西日本、あるいはナチスドイツであったりと、その原因を作った本当に非難されるべき対象が、ちゃんとあるにもかかわらず、生き残った自分自身を責めてしまう。人間は時として現実を、むしろ自分の心をより痛めつける方向に、物語を変えて受け止めてしまうということをしますね。それが、私には、とっても不思議なんです。
河合 自分は何も悪いことはしていないけれど、生まれつき罪があるんだ、というのは、
キリスト教の根本ですね。
小川 生きていることが罪。
河合 そう。「原罪」ということです。この世に生まれてきたということが、罪を犯しているということになる。それが、その人生を支えるというカルチャーがあるのですから、ちょっとしたことで罪深さを感じる方がおられても、何も不思議ではない。
その人がその道を行かれるように、僕らは付いていくんです。
小川 罪の意識に対して、「あなたは何も悪くないんですよ」と言うんじゃなくて、ですね。
河合 言わないです。「悪いのはJRじゃないですか」ということは絶対に言わない。「私はなんでこんなに罪深いんでしょうか」って言われれば、「はい」と言っているだけです。それを追求して、追求して、その人の人生が出来てくるということですから。

***

「私はなんでこんなに罪深いんでしょうか」って言われれば、「はい」と言っているだけです。それを追求して、追求して、その人の人生が出来てくるということですから。

いやあ 「僕らは付いていくんです」
なんか 自分のことにもあてはめてみたりして 追求というのか 一生懸命考えてみることがあります
そのことは 「自分の物語を作っているということなんだな」と思えばいいのですね
今回は すこしわかりましたよ
みなさんはどうですか


さて 意図の解らない 基本同じ場所に そこにあるものを おいています
今日は そのとおりの場面ですが ある人はこれをみて 私とは違うことを
思われるかもしれません。意味さえも出てきたりね
このことは 面白いと思っていますが

そうそう 「のりこの部屋」でっせ

《 2017.08.12 Sat  _  1ぺーじ 》