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ピカソとその周辺

「ピカソとその周辺」 フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳

今回は「モンマルトルのミスター ビーナスたち」とだいして「FRAU」1992 5/21にのっていた ピカソとオリヴエのことを 打ってみようと思います。

私は 暑い夏 そろそろ雑誌などを 捨ててみようと します。
ところが そんなときに ぱらぱらとページをめくっていきますと 出会うんですね。


なぜモンマルトルに多くの画家が集まったのか。しかも、フランス国内だけでなく外国からも....。
 パリに住みついて10年になる日本人画家はこういった。
「パリというところには、エトランゼを受け入れる気安さがあると思う。といっても、けっして温かく迎え入れてくれるというわけじゃないけれど。ヨーロッパの中でも、特にフランスは文化の豊かな国で、外国人に対しても、付き合い馴れているという感じがしますね。政治亡命者なんかも多く受け入れているし。外国人がはいってきてもちょっとやそっとのことではゆるがない、根深い文化があるっていうのか。そこからくる懐の深さとでもいうか。そうやって、受け入れた外国人たちが新たなパリの文化を作っていき、またパリの文化は豊かになる。そんな滋養を与えてくれるような....。ここにいると、エトランゼでいることが裕福な感じがするんですよ」
 

滋養がパリにはあるんですね。
長年にわたって積み重ねられた豊かさなんですね。
「外国人が入ってきても、ちょっとやそっとのことではゆるがない、根深い文化があるっていうのか。そこからくる懐の深さとでもいうのか」

なるほどね。と簡単に言いますが。
外国からきたのはピカソだってスーチンだってそうですよね。モジリアニだってそして日本人だって。
ときには 外国人同士で 助け合ったりパリの人に 助けてもらったりしたかもしれません。
だけど 生活は苦しかっただろうしね。

こういうのを読んでますと そのころのパリに入った気分になるから 不思議ですね。
「こんなことしてていいのかなあ」ってね。
そうそう 滋養があるパリでした。



《 2017.08.02 Wed  _  1ぺーじ 》