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母の書き残したもの

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母の書き残していたこと NEKO美術館発

母の書く文字は 子どものわたしには案外読みにくいんですが だから間違っているところもあるやもしれませんが そこは しかたないことにします。

美保神社のこと

 神社は事代主命がまつってあり出雲大社と共に有名だった。毎年春と秋に大祭があり
春は青ンパ垣神社、秋は古代の舟の競争がある。 まつりともなれば各家庭はご馳走作りが大忙し。子どもたちは何よりも神社の前にズラリと並ぶお店である。
その日は 近くのしんせきが大勢集まり 神事を見ようとどっと見物がおしよせる。
当時、境港より汽車がかよっているだけで、ポンポンと音をたてて何周かかよう汽船には
大勢のお客様が いっぱい海に落ちそうになりながらしがみついている。
村の店屋もこの時とばかり いろいろな海産物やどこから来るのか 関のマークをつけたいろいろなみやげものが ところせましとならぶ。 出店に来ている連中は良い場所をとるため 早くより出店の準備に大わらわである。
子供たちもおまつりの小使をもらって おまつりなどそこのけで 店のならぶのを 待ち構えている。 当時の小使いは一銭か二銭である。お客様にも小使いとして一銭くらいもらう。当時は一銭もらうと五厘つりをもらってくるよう云われた。 五厘で口いっぱいくらいの茶色のあめ玉が一ヶかえた。
店には はでいろの いろいろの安もののおもちゃなど ならんでおおにぎわいである。
春のまつりは 海の中に板をくみあわせて 大きな板の舟をつくり その中に一年神主さんが 朝より食事もとらず しゃくをもってすわっている。 これはお祭りの住むまでの行である。
当時 出雲地方は独自におさめていたのを 中央政府のようなのがあり 出雲も土地を返すように云われ 使いの神が出雲地方に来て青しばてかこんで使者が来て 国をかえす神事で 当地の出雲地方の神様は国をかえして青しばの中に入られた神事らしい。詳しいことは忘れた。
秋の神事は 一本の木でつくった舟を二そう いつも神社の境内に置いてある それを海に出し両方に若い者が乗り 沖にこぎだし 水をかけあいながら競争して港につけて 神主さんが陸に上がり大急ぎで神社にかけつけてあらそう。 みな海水でビッショリ 昔のかんむりに 衣装をつける。
待ちに待ったおまつりがすむと子供たちもしょんぼりしてしまう。あの頃はなつかしい母も兄も 私を可愛がってくれたなつかしい人々を思い出す。

***

母の生まれ故郷のお祭の思い出ですね。私も兵庫のお祭は 本当に楽しみでしたが
母もそうだったんですね。島根県の出雲大社はあまりにも有名ですが 美保神社も歴史的には有名なところです。そのひとつに 一年神主というのがあって 神主さんにあたった人は 一年間毎朝くらいうちから 海に入りみそぎをすませて 神社に行くというようなことらしいですね。「神主さんになったら 神様とおはなしできるの?」しーちゃんにきいてみますと 「くわしいことはしらんけど なんかあるらしいよ」といとこにきいたらしいです。きっとそれは 本人にしかわからない事だから 「なんかあるらしいよ」で
おしまいですね。
子供の時の母は そんなむずかしいことや行事より お小遣いもらって いろんなものを見て回る方が楽しみだったんですね。それは子どものわたしも いっしょです。
いまは そんな人ごみはさけたいんですが そのお祭の日に雨が降るのか 晴れるのか
ふっても小降りで祭はあるのか そのことだけでも 前のばんから 気になってしょうがなかったんです。天狗に追っかけられて うしろを見ず つっぱしって同級生の家にあがりこんでしまったこと ぴ〜というお祭独特の 音。
それは 年老いた母の記憶の中にも しっかり残っていたんですね。


あっノリコ・美保関は 自分の作品をいつものようにご紹介するのを わすれるところでした。かぶとむしは 大きな体ではーはーいいながら その図体だけで(漢字あってますか)ウルトラとにらみ合っていました。いえねウルトラは 余計な争いは する気はないようですが。
《 2017.08.27 Sun  _  日記(日々) 》