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ピカソとその周辺

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「ピカソとその周辺」フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳(写真はFRaU 講談社より)

昔のモンマルトル

 モン・スニ街のベルリオスの小さな家がとりこわされてからも、モンマルトルには、有名な最後の住宅が残っている。コルト街十二番地のこの古い家には、あらゆる種類の数多くの芸術家が住んでいた。
 フリエツ、デュフィーがそこの二階に住んでいた頃、エミール・ベルナール、アンドレ・アントワーヌ、作家のレオン・ブロワも住んでいた。その後そこに移って来たのは、ルヴェルディとシュザンヌ・ヴァラドンだったが、ユトリロもそこに落ち着いた。金網を張った窓の向こうで絵を描いたり、紙やいろいろな物を、金網の網目を通り得る物は何でも、投げて面白がっているユトリロがよく見かけられた。版画家のガラニはまだそこに住んでいる。
 アンドレ・アントワーヌは、ずいぶん古い話だが、時折いつも神秘的な媾引のためにそこに来ていた。
 エミール・ベルナールは、今日もなおシュザンヌ・ヴァラドンとウッターが巣を構えている画室を使っていた。彼は義兄弟のポール・フォールと、長い芸術論などに華を咲かせたものだ。

***

シュザンヌ・ヴァラドンは ルノワールやエリック・サティ、ロートレック、 ポール・ムージス そしてユッテル(49歳のときユトリロの親友のユッテル28歳)と結婚しています。ユトリロは私生児としてヴァラドンが若い頃生んでいますが この恋多き彼女ですが 自分自身も絵を描くようになるのです。はじめはモデルをしていて ルノワールの作品にも登場します。 まわりはすごい絵描きばかりですね。 そういった中で 彼らの絵の描き方などを見ていました。 
ロートレックが彼女をドガに紹介するほどうまかったのです。

ルノワールはヴァラドンを愛人にするほどでしたが そのころには19歳年下の婚約者がいました。かれは田舎娘のアリーヌを選んだのです。サティにも熱を上げて 彼の肖像も描いています。ロートレックまでもと思いますが 「ヴァラドンは はユトリロの母であるよりも 恋人よりも画家になりたかった」 と書いてあります(FRau)
 このページでは ヴァラドンが出てきたので とりあげてしまいました。
 FRau にヴァラドンのことが詳しく書いてあったので
つい。
エミール・ベルナールはどういう人? 



《 2017.08.10 Thu  _  1ぺーじ 》