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ピカソとその周辺

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「ピカソとその周辺」 フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳

この本の途中ではありますが FRaU 1992 にこの本につながる箇所があったので
打ってみますね。

つづき

 モンマルトル博物館でモジリアニの研究をしているイタリア人のバリゾー氏はこうも言った。
「20世紀初頭のモンマルトルはまだ田舎で、いってみれば無法地帯だった。だから、ユダヤ人とか、国を追われるようにして出てきたロシア人たちにとっては、官憲の目を逃れるのに恰好の場所だったんです。スーチンもシャガールもそうだった。官憲もそこらへんを心得ていて、見逃す代償として彼らに絵を描かせては、それを自分のコレクションにしたり、売ったりしていたといわれています」
 今世紀初め頃、モンマルトルにはヨーロッパ各地から集まってきた芸術家の卵たちが、パリ市民に混じってたくさん生活していた。きっと彼らの多くが、芸術に沸き立つパリの空気の中で、自分を燃焼させてみたいと思ってやってきたのだろう。スペイン人のパブロ・ピカソも、パリのエトランゼの一人だった。

***

芸術家が生まれてくる場所は その空気 興味のある外からの人 そういうところなんですね。
そういう空気や人々が一掃された市がパリだったら そうはいかなかったのでしょう。 官憲はそういう人達を見逃してやるかわりに 画家たちの絵をあつめたりしていた。「ピカソとその周辺」も終わりの章に入ってきましたが ピカソが おしもおされぬ巨匠ではなかった 貧乏時代 それはこうして読む側にとっても 人間臭い 興味深いところなのかもしれませんね。この本でも(PRaU) そうですね。


「1ページ」を打っているうちに すっかり自分の作品のことは忘れています。よくあります。
いやはや こんな大事なことを忘れては いけません。
おや きょうはFRaUにあった写真です。
かの有名な「洗濯船」しかしなぜこういう名前になったんでしたかね。なかなかその名前はおかしいですね。金持ちのアパートには見えませんね。何部屋位あるんでしょうね。部屋の広さは「ピカソとその周辺」であったかもしれませんよ。オリヴィエと猫とピカソがいる。それでもその狭い部屋に 泊っていくやからもいたそうです。
オリヴィエはピカソと別れてからもこの洗濯船に住み続けたんでしたっけ?
いつも私が「あの老人は誰だったのだろう?」「フランソワーズ・ジローをともなって 洗濯船に入っていって その老女にお金を置いていった」「そして これが 人生だ」と言った話。
「ピカソとその周辺」はここのところが 続編として付け加えられれば すごいとおもうんだけどなー。ただし その老女がこのオリヴィエだったら。

この3人 むかって左 アポリネール えっ 詩人アポリネールはこんな こい男だったの? ひげをたくわえた。マリー・ローランサンは真ん中 これはそうでしょうね。 彼女とアポリネールの恋はあまりにも有名 だけど恋は終わりますね。どうしてだったんですかね。 ま マリーはおじょうさんで お母さんは 娘の帰り時間にも 厳しかったそうですからね。
アブサンと夜遅くまでのおしゃべりは マリーには 許してもらえなかったんですかね。
後に彼女はドイツの将校と結婚しますが 別れています。よほどドイツの将校の方が かっこよかったんでしょうかね。でもドイツは最初こそパリを占領しますが 第二次世界大戦の終わりには ドイツは敗れます。 マリーにその辺の話を聞いてみたかった?
そして右がピカソ 髪も黒々としたピカソですね。
「セーヌはながれ わたしはのこる」とかいったアポリネール たしかに 「川のながれはたえずして もとのみずにあらず」
みんな同じことを思っているのを こうした詩人や方丈記などでいってくれるんですね。

何の話でしたっけ?


《 2017.08.04 Fri  _  1ぺーじ 》