「生きるとは自分の物語を作ること」 新潮社 考える人 2008
つづき
河合(K)患者さんは、実際自殺する方へ行かれますからね。それでも僕がその人たちのために物語を作ることはない。その点は、小説家がしていることと全然違います。
その違いは、ちょっと面白いところですね。
小川(0)自殺しかねない人が自分なりの「若きウエルテル」を生み出せるよう付き添う、ということですね。
(K)やっぱり死ぬよりは生きた方がええんとちがうか。とか、なるべく好きな人と結婚した方がいいんじゃないかとかっていう、いわゆる常識というものも、僕らは忘れてはいないんです。忘れてはいないけれど、でも縛られたらだめなんですね。
(O) だけどついいってしまいたくなりますよね。
(K)それはもう慣れていますから、だいたいは言わずに聴いているんです。でも、言いたくなったらパッと言う。僕なりにね。それは、ここまで訓練された僕が言いたくなってるんだから、言ってもいい、というよりは、言おう、と思って言う。だから腹が立ったら
怒りますよ。どなりつけることも、「帰れ」という時もあります。
(0)患者の方が怒り出すことは。
(K)それはよくあります。患者の人が怒ったら、それを吸収する。ほんまに吸収する時もあるし、こっちが怒鳴り返す時もある。それはもう、その時の勝負ですね。そういう点で、カウンセリングはスポーツに非情に似てると思います。
(0)シナリオがないわけですものね。
***
読ませてもらってますとね 本当にはよくわかっているわけではないですけれども
「その時の勝負ですね」
なるほどなあ こういう勉強した人でも 怒鳴る時はある 印象に残りました。
はじめから こう言えばこう返す そういったシナリオがあるわけではなく
いままでつちかってこられたことをふまえて
「その時の勝負ですね」
自分は ときどき患者であり 話を聞く人にもなります
河合先生の 患者さんとのやりとりを聴いてみたかったなあと 思いませんか?
おそらく 個人情報ですから 知り得ないでしょうけど
小川さんが 小説で 書いておられることは そういうこともあるかもしれない
そう思うとドキドキしますね
読んでいて 自分のものにできたとき 自分は どういうふうになるのかなあ
*
さて 「ノリコの部屋」はどういうことになってましたっけ?
この「河合 小川対談」を読んでいると すっかり
物語といえば 私は 写真の入り口で 物語を語りかけては シャッターを
押していたような気がしますよ
思わせぶりと言いますか
あとは お客さん 考えてみて下さいよ〜 なんて
で こうやって話しかけてみると これは とても面白い答えが返ってくるものだ
そう 感じさせてもらったことが 何度かあります
ふあさんやぴーさんそのほかにも
それは それぞれの方々が それぞれの物語を発してられる
そういうことかもしれないと K O対談を読ませてもらってて
思いましたよ
このわたしの写真の設定 いつものように 自分の持ち駒で写しているだけですが
顔のない カカシのような人が 中央にいて
ぞうたちが まわりにそれぞれいて
さあ
わたしは ありきたりの反応しか 語れませんでしたが
みなさんは どうですか