「ピカソとその周辺」 フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮役
黒人と写真
ドニッケルが、ある日ピカソの家に海軍士官の探検家を連れて来たが、彼は画室を訪れて私たちに語ったところによると、彼は彫刻に打ち興じていた土人たちを見た時、彼らには全く目新しい写真というものを見せたら、どんな反響が起こるかという好奇心にかられた。
彼は軍服姿の彼の写真を、彼らの目の前に差出した。ひとりの黒人がそれを手に取って眺め、横にしたり、あらゆる方向にひっくり返して見たりしたが、何であるか見分けがつかず、解らないままに彼に返した。探検家はそこで教えてやろうと考えて、それが彼の姿であることを説明した。
黒人は信じかねるように笑って、紙と鉛筆を手に取ると、士官の肖像を描き始めた。
彼は彼の流儀で、頭と体と脚と腕とを黒人の偶像のような形に描いて、その肖像を士官にさし出した。しかし、彼は改めて注意深く士官を眺めると、最初描き忘れた軍服のピカピカ光るボタンを描き添えるために、そのデッサンを取り戻した。
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海軍士官の言う土人、この土人という表現は今は とても失礼な言葉になっていると思います。第二次世界大戦の頃はそういってたんだと思います。
この写真を見せられた彼らの驚きもあったでしょうが
「彼が彼の流儀で、頭と体と脚とを黒人の偶像のような形に描いて、その肖像を士官にさし出したということ。しかし改めて注意深く士官を眺めると、最初描き忘れた軍服のピカピカ光るボタンを描き添えるために、そのデッサンを取り戻した」というところが興味深いですね。
つまり 黒人の偶像のような形は 白人の士官のつもりだったんでしょう?
ヨーロッパではずいぶん昔から 肖像画を相手と同じように描くという歴史が根付いているんですね。ところがそこの人たちには 彼らの流儀が先にある。そうなんですね。
これは とても面白いことじゃないですか?
たとえば 縄文人が作ったとされる土器の人。この人達の中にある形は もしかして 当人とは少し違うのかも知れない。目的だって 違うのかも知れない。何か似ていませんか?
ヨーロッパの人たちは 神と言っても その人たちに近い姿形をしているんじゃないでしょうか。まあミノルタウルスのように 人魚のように 半分人間 半分牛や魚なんていうのもありますが。
自分たちの流儀 そうなのか
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さてと ノリコ・リーの作品です。
これはね今日設置しました。
屋根と言っても中間の屋根ですが そのうえが なにものかの「べちゃーっ」とした
ふんで 「こらーじゅ」されておりまして まっこと驚いたのであります。
最初 からすを疑いました。近くをよく あの黒い羽根で 横行しているからです。
上に「す」なんぞあるのかもと 見上げるのですが よくわかりません。うちは大屋根で
高すぎるのです。でもせっかく義父さんがのこしていった双眼鏡があるのですから 明日はそれを使おうと今 気がつきましたが。
からすに石でも投げる想像をしましたが からすはきっとあの知恵もののこと 反撃に出られたらたまりません。
で 私の流儀で(?)考えたのが 友達に貰ったへびにもみえる流木を 上からよく見えるように置いてみること。つぎに ちょっとかけた皿があったので マジックで目を真ん中に。一つ目小僧並みに。 まわりには沢山の目を描きました。
「見てるぞー」というわけです。
さてどうなるかな。ほかにもいい考えが浮かぶと 追加するつもり。
ところが はともさーっと飛んで行きました。はとかもしれない。
ねこのムラカミ記者が死んでから ツバメには「ようこそ」とお迎えするつもりはあるのですが。
ピカソ 思い浮かべて下さいよー