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けったいなアメリカ人

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「けったいなアメリカ人」 米谷ふみ子著 集英社

ミラー、メイラー会談傍聴記 つづき

 録画が済んでから雑談に入った。
メイラー 「僕のおふくろにね、ヘンリー・ミラーについて本を書いていると言ったらね、あんなじじい大嫌いだ、あんなすけべえじじいに現(うつつ)を抜かして、私の息子は才能と時間を浪費していると言ってました。その夜、ヘンリーに初めて会ってニューヨークに帰った時、おふくろに言ったんですよ。"ミラー氏に会っている時、思い出した人がいるんだ"ってね。"誰"と訊ねるから、"お母さんあなたですよ"ヘンリーは偉大な作家と言えるが、僕は良い作家なんだ。未だ偉大ではありません」
ジョシュ 「セオドア・ドライザーのこと、お二人とも話されませんでしたね」
ミラー 「あー、彼はええ作家ですな。ほんまに彼のことを忘れてましたな」
ジョシュ 「あの人の文章は彫刻で言うならば粘土のようにくっつけて行く、盛り上げて行くという感じなんですね。文章を書くのに二通りあると思うんです。一つはドライザーのように、これでもか、これでもか、とくっつけ、盛り上げて形を仕上げるタイプ。ミスター・ミラー、あなたもそうです。もう一つのタイプは削り取ってしまう、木彫のようにね。削って削って簡単な形にしてしまう。そのなかにヘミングウェイが入っていると思うんです」

このメイラーのお母さんは ミラーをさして 「あんなすけべじじいにうつつをぬかしてそれは時間と才能の浪費だ」と言ったんですね。
さすが作家のお母さんは はっきりものをいってのけますねえ。
ところがジョシュが実際ミラーに会って だれかのことを思い出した。それは自分のお母さんのことだったそうですね。
それどーいう意味?
つまりメイラーは 「ミラーは偉大な作家でメイラーは良い作家 そしてお母さんは良いお母さん?」と言いたかったの?それとも「お母さんは偉大なお母さん」と?

ジョシュが言うには「文章を書くのに二通りあると思うんです。盛り上げて形を仕上げるタイプ。もうひとつは削りとってしまう、木彫のようにね」
そうなんですね。ヘミングウェイ は削り取ってのほう セオドア・ドライザーは盛り上げ(省略してすんません)。
でもどっちもやってしまうタイプは? つまり 客観的に見て 読む人がどう評価したということと(多くの読者を持った作品)関係ありますか?
子どもの時から 家族とともに生活して行く中で でてくるタイプ これだと案外そうかも。
えーわけわかんない。ここでほおりなげるノリコ・りーです。


もう ノリコ・リーですよ〜。
この作品は きのう作です。ほとんどその気にならないわたしですが そこに色を落としておいたりすると つづきは描いてみたくなったりするんです。
ねこだとかいぬだとか だれでも そんな形に見えることあるでしょう?
きょうはそれ。そのうち木というのはじつは もっと「ふあっ」としたところがあるんじゃない? なんて発見したような気になって来て で ゴッホは輪郭線でもって そこにはっきりあることを 描かないと 辛抱出来ないほうだったかなあ とかいろいろ 思ったりしながらね。

今日は雨がふってます。カッコーが歯切れのいい声が出ないのはそのせいかなあと 思ったり。孫は私を見て 笑ってくれるかなあとか。

ノリコ・リーは途中で放り出すことがあります。未来の私にとっておくため。
孫のことじゃありませんぜ これは表現の世界。
この絵このままいくのか 今度出会ったときは 変わってるのか(ひとりごとはやめなよ) 
《 2017.07.01 Sat  _  1ぺーじ 》