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ピカソとその周辺

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「ピカソとその周辺」 フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳

男爵夫人

 セルジュ・フェレの本名はとても複雑だったので、ピカソは彼をセルジュ・アポストロフとよりほかに呼んだことがなかった。
 彼の妹の「男爵夫人」ー私達は彼女をそう呼んでいたーは、まことに個性的な、自由気儘な(少なくとも自分でそう思っていた)女性だった。彼女はエルミーンの毛皮に金ぴかの服を着て、カルコが言ったように、、確かに少し「気取って」いたが、自分から遠慮勝ちにしている時は、とても気持ちの良い面白い女性だったので、私達は大好きだった。それに美しく、繊細で、上品だった。
 アポリネールが、この有名な男爵夫人と知り合いになってからしばらくすると、一週間姿を消したことは、もうお話ししただろうか。
 彼は彼女が住んでいたペルティエ大通りのささやかなホテルの一室で見出された。彼は彼女から、それが生涯続かなかったのが残念なほど楽しい牢獄に監禁されていたのだと、彼は笑いながら話した。彼は自分の作品を読んで聞かせたり、詩を作ったりしていたに違いなかった。
 一口に言えば、彼女は才智に恵まれた女性だった。筆も執れば、絵も描いていた。彼女もその兄と同じように、立体派を勉強していたが、その後いつも一緒に連れ立っていたソフィッチの感化で、未来派に転向したように思う。

***

男爵夫人のことが描いてありますね。
アポリネールは「一週間 彼女の楽しい牢獄に監禁されていたのだと」 笑いながら話したそうですね。さすがアポリネール しゃれた言い回しをしましたね。 セルジュ・フェレの妹が男爵夫人。しかし 自分が 知ってる名前の間を 知らない人たちが登場します。 ピカソの仲間たちは 絵に描かれていますが 全員の集合写真などがあればと。
まえの「ロシュジュワール大通りのレルミターシュ」でセルジュ・フェラという人が出てきますが レとラがちがうだけで別人ですか? 
ところで マリー・ローランサンはいいとこのお嬢さんで お母さんから「十時までには帰ってらっしゃい」といわれてましたよね。 アポリネールは彼女とつきあっていましたがこうした男爵夫人との話も彼にはあったんですね。
アポリネールはええっとなんでしたっけ 「橋の上をセーヌは流れる...」とかいってましたよね。有名な詩。これはマリー・ローランサンにふられたときに 書いた結構寂しい詩じゃなかったんでしたっけ? このころの様子をオリヴィエが書いていたらとミーハーの私は思います。 
マリーのお母さんは ドイツの将校といっしょになってドイツに行ったマリーを どう思っていたのかな とか。 戦争で フランスにはドイツが攻め込み その後 ドイツは連合軍にやられてしまいますよね。 この戦争でマリーも えらいめにあうことになるんでしょうね。 アポリネールはその後どうなったんでしたっけ? 
これだけいいかげんな わたしの話につき合っていただきまして ありがとうございます。


さて わたしの作品でございます。
やや これは男爵夫人にも見えなくもないですよね。耳がおおきいですよね。
古布 なかなか色っぽい色ですね。

さいならさいなら
《 2017.06.15 Thu  _  1ぺーじ 》