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ピカソとその周辺

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「ピカソとその周辺」フェルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳

ロシュジュワール大通りのレルミターシュ
つづき

 ドランは、クラヴァサン、エビネット、フルート、黒人の楽器、アラビヤや支那のレコードがーー

不思議な、新しい聞いたことのない音楽なら何でも好きだった。一時彼は自分で原始的な楽器を作ろうと工夫をめぐらせていたようだ。彼はつねに発明趣味をもっていた。トゥルーラック街の彼の画室で、彼が作ったばかりのボール紙か紙の小さな飛行機を飛ばそうと骨を折っているところを、幾度私たちは見かけたことだろう!
 本格的な音楽に対しては、彼らはその当時はほとんど無感覚だったように思われる。
 マリー・ローランサンは母親から十時までという許可を得られると、時々私たちに会いにレルミタージュにやって来たが、彼女は決して長居はしないで、相変わらずのプチ・ブルジョワらしく、用心深く、早目に帰って行ったものだ。
 そこへはまた、オラン、マックス・ジャコブ、セヴェリーに、ボッチォーニ、時にはあのかわいそうなバスラー、マルクー氏と呼ばれていたマルクースがやって来た。ピカソになめさせられたマルクースの失恋事件は、当時のユーモア新聞の紙面を一時賑わした。何といっても才人だった彼は、その事件から思いついて描いた素描を「パリー生活」誌に送った。重い鎖をつけられたピカソが出て来るのを眺めて、愉快そうに雀躍しているマルクースが、今でも目に見えるようだ。

***

マリー・ローランサンはお母さんとの約束で 十時までには家に帰らなければならなかったんですね。ここでもいろんな芸術家が出てきますが 夜遅くまでにぎやかにやってたんでしょうね。オリヴィエはそんななかでいろんなことを観察していたわけですね。
これが 後になってとてもいい話になって残ったんでしょうね。名前をしっかり書いてあることでね。

上の絵は やはりピカソに影響を受けていた時のものです。
ぶどうを食べたあとがけっこうよかったのでね。 影響をうけている時というのは何を見ても ピカソなんです。ゴッホの時もそうでしたね。
それは とてもいい気持ちでしたよ。
《 2017.05.29 Mon  _  1ぺーじ 》