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あのとき

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あのとき NEKO美術館発 1986

この「フーフー通信」をはじめたきっかけは どこにあったんでしたっけ?
何もかも忘れていく私ですが 
向かって右の子供の絵は1983年 次に1984年に末っ子が生まれています
向かって左の絵は 自画像です
ほくろの配置など同じなのは あたりまえですね
やせています 4人こどもがいて もう走り回っていました
私は体が丈夫じゃないそう思っていたのですが 考えてみれば 子どもにガミガミどなる元気もあったわけだし もしかしてその時「丈夫になった」のかもしれません
母がとにかく丈夫な人だったので かなわないなぁとよく思ったものです
ところが 最近母の思い出の記録を読んでみますと 母も子どもの頃はスペイン風邪にかかったり(これはひどかったそうです)そう丈夫な子じゃなかったそうなんですね

そんなあわただしいときに 夫は「文学賞など とれるかとれやせんかのものを
それも えらい待って そんなのわしの性に あわんわ」とかなんとかいいまして
「それならじぶんの書いたものを できるだけ多くの人に読んでもらって」
というので 「ついでにおまえもかけ」といったのかどうか わたしたちはこの通信を出し始めたのです

そのころのわたしは 絵を描くことも 文章を書くことも なんだかやる気があったのです
どうしてでしょうね
こどもをどなってても けちらしてでも その方面には 力が入ってたのです
このころ 私の怒鳴り声を理解できる子どもらは ほんまにガミガミした母親だと
思ってたでしょう いまでもいいますから まちがいありません はい

あのときが 日記文から私ははじまったのですが 一番長い文章を 夫に直されたりしながら 書きました
それは後に「ほんの主婦ですが」という本になりました
夫は「幸福工房」だったと思います

今? あんな生活感あふれた文 書けるかなあ? それにあの長さ
やっぱり 私には そのときにしか書けないことって あるような気がするんです
《 2017.05.14 Sun  _  思い出 》