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ましまし

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あかちゃん  NEKO美術館発  1984

「ましまし」

わたしは 若い頃 職場で失敗すると すぐ仕事を辞めたくなった。
やめる前に あわてふためかなくてはならなかった。
わたしは庶務の仕事をしていて 郵便物も扱っていた。その郵便物がまだ届かない
などと言われた時には 泣きそうな顔をして おろおろさがしまわっていた。
みんな 仕事をミスなくこなしているふうにみえて そのときは 道を歩いてる猫でさえも うらやましいと思った。

しかし それが見つかったり 解決したりすると しあわせだなぁと心底思った。
そして次の心配ごとがやって来るまで スカーフはどういうのにしようかとか 今日の食事はなんにするかなぐらいな たわいのないことを 考えてた。

それから やっと結婚ができて またいやなことがあると しゅんとしたけれども
その仕事のことを思い出して 「ましまし」ということになった。
この「ましまし」のおかげで いろんなことができた。
会社に行っていると 決められた時間までは そこにいたり いわれたことをしなければならないと そういう風に思っていた。 ところが子どもや赤ん坊相手だと すきまがあると さっと自由に飛び込めるような気がした。 家族相手だと やっぱり失敗の重大さが違うような気がした。本当はそうじゃないのだろう。どこにいても責任はつきまとうものだろう。
でも 思いこみというものがあるとしたら私の場合は なぜか 「ましまし」のところにやってくる。5年つとめたかなぁ。その「ましまし」は長い間わたしをささえてくれた。
職場の人に「ミスのり子」と笑われたものだけど これだって少しの笑いをとることができる。


さてNEKO美術館
このごろ 老眼で目はしばしばするし こまったものだ。
あかんぼうは夜中のまっくらななかでも目をさましていることがある。大騒ぎで泣くとおっぱいがほしいんだけれども そうでもなさそうなとき。 で その目はきらきらしている。そう感じたことがある。
他の動物でも 赤ん坊の目はほんとうに澄んでる。チンパンジーのお母さんはその澄んだ目を見ているんだろうか。


《 2016.09.14 Wed  _  わたしでいいですか 》