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シューマン

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「音楽と文化」河上徹太郎 創元社 昭和13年

シューマン つづきです

 浪漫派シューマンの生涯を通じてその最も性格的な事件は、愛妻クララとのながい恋愛時代の苦闘を経て結婚に到達したことであろう。世に芸術的天才と恋愛の逸話は数多いけれど、同じく芸術への愛に燃えて幾多の難関を経てその許に結ばれた恋愛は、近代芸術史を通じてシューマンの場合をのけると僅かにイギリスの詩人エリザベス及びロバート・ブラウニング夫妻がこれに匹敵するくらいであろう。その経緯については後に述べるが、この試練に耐えしめたものは確かに単なる人間シューマンの愛情だけではなく、浪漫派芸術家シューマンの創作の上での情熱の実践である。
 その他浪漫派としてのシューマンを形作る要素としては、一見消極的に見えるけれど実質上見逃し得ぬものに、彼の精神病的体質がある。元来シューマンには五人の兄弟があったが五十歳まで生きたものは一人もなかった。(彼は四十七歳で死んだ)そしてその一人の姉は()歳で神経病で夭折している。要するに遺伝的に弱い体質であったのだ。シューマン自身すでに二十歳過ぎにその徴候をみせ、ちょっとした精神的打撃にも甚だしい憂鬱症の症状をみせたりしていたが、晩年はそれが嵩じ、遂に1854年には発狂してライン川に投身し、一命は辛くも救われたが、その後は全く廃人として療養院に二年を送って1896年に死んだ。この体質的影響を過大視するわけにはいかぬが、しかし創作の上に何等かの必然的影響を持つことは確かである。

***

「シューマンの曲を聴かしたろか」夫せいはタブレットとやらを操作しながら 聴かしてくれました。どうだったかなぁ。シューマンはベルリオーズやショパン ブラームス ベートベンの才能を認めています。ブラームスなどはこのシューマンのことを尊敬していて彼の死後もクララを支え シューマンの作品の普及につとめています。
クララのお父さんはピアノの教師で シューマンはその弟子だったんですね。そこでクララは21歳でシューマンと恋に落ち 父親の反対を押し切って結婚しています。
夫シューマンの作曲活動をピアノ演奏で家計を助け 子育てもしています。
しかしこのデリケートで病気のシューマンを支えるのは大変だったでしょうね。
「人間シューマンの愛情だけではなく、浪漫派芸術家シューマンの創作の上での情熱の実践である」とクララがこの試練を耐えしめたのは ここであるとしています。

シューマンは情熱をもって浪漫派芸術に没頭していたんですね。こういう姿には中途半端はなく 疲れるから休みましょうといっても むずかしかったんでしょうね。仕事はお金にはならなかったんですか?作曲家というのは そのとき人気が出ないとお金にならなかったんでしょうか。それはいまでもそうなんでしょうが しかしその信奉者のブラームスや妻のクララたちによってつがれていったんですね。


さて この写真は峠越えをしなければならない山のように見えませんか?
今チョコレートをたべてむねやけをしている 馬鹿な私ですが 
人は峠越えをしなければなりません。
その途中で 精神をやられてしまうシューマンのような人もいます。
「シューマンでゆさぶられ ブラームスで一息つく」
短歌でこんなことを書いても サガンの「ブラームスはお好き?」とはどうつながるのか
大人天才のりこは 情熱が欠けています。

さいならさいなら
《 2016.09.12 Mon  _  1ぺーじ 》