「ものがたりの余白」 エンデが最後に話したこと ミヒャエル・エンデ
シュタイナー人知学の芸術観
エンデ 人智学の芸術には、わたしは前から納得できないものを感じています。ルドルフ・シュタイナー(の思想)から学んだことの多くは、わたしにとってきわめて大切なことですし、生に対する私の考えそのものの、決定的な磁石なのですが、しかし、芸術に関しては、そのかぎりではない。シュタイナーの芸術思想は、どうしてもわたしは受け入れることができないし、今でも間違いだと思っています。なぜかというと、ひとことで言うならば、
「暗黒が欠けている」
と、言えるからです。
どの芸術であれ、詩でも絵画でも、楽しく明朗な絵画でさえ、どこか暗黒を持っていなければならない。暗黒がなくてはならないのです。そうでなければ、明るさにしてもなんの値打ちもない。
人智学の絵画をご覧になれば、どれも暗黒が欠けています。そして、そのために奇妙に植物的となり、少しばかり血が欠ける感がある。鋭さもない。
お聞きになったことがあるかどうか、ハーモニーだけでできた音楽がありますね。
瞑想用の音楽だと言われているそうですが、ハーモニーの流れに身を漂わせて、流れてゆくような音楽。わたしはいつもこの音楽には反対するのです。
「いや、そうじゃない。不調和もそこにはなくちゃいけないし、鋭さも、残酷なこともなくちゃいけない」
と思うからです。
これらすべてが偉大な形式に統括されてこそ、わたしは納得します。ですから、人智学の芸術には限界があると思う。オイリュトミーでさえ、その美学は、妖精が輪舞するだけの美学なんです。
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「暗黒が欠けている」
ルドルフ・シュタイナー人智学の芸術観には。
「遺された黒板絵」ルドルフ・シュタイナー ワタリウム美術館監修 筑摩書房1996
をわたしは結構熱心に読んでみたことがあります。
宇宙 地球 生命 人間 文化 精神世界 神話と宗教についてかいてあります。
それらは すっかり忘れてしまっていますが どこか別世界のようで 不思議でした。
ところがシュタイナーの芸術観に異を唱える人がいる。
「どの芸術であれ、詩でも、絵画でも、楽しく明朗な絵画でさえ、どこか暗黒をもっていなければならない。暗黒がなくてはならないのです。そうでなければ、明るさにしても何の値打ちもない。」
なるほどといいたいところですが まずシュタイナーのこの黒板絵での話を読んでみないと なんとも。でもこんどはちょっとエンデの意見を年頭におきながら読んでみるわけで
す。
わたしはたいがいかいてあることは「鵜呑み」にしているようです。
で 反論が出てから もう一度考えてみるか 気にしないで忘れてしまうかです。
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さてNEKO美術館のときがやってまいりました。
暗黒ですか。
どこかもっていなければいけない。
この絵はね きりとった一部分です。暗黒はあるかなぁ。
私は十代の頃から明るい色をぬりたいとは思っていました。
いやぁ 人智学 暗黒の欠けた ゆっくり 調べてみたいです。
さいならさいなら とりあえず