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日々  NEKO美術館発

 絵を書いてフランシス・ベーコンやハンマーズ・ホイ(ちゃうなぁ)を好きで ボブ・ディランをホールの一番前の席で身を乗り出してみた人(夫婦で)。
そのボブ・ディランを2曲 ギター片手で歌ってくれた人 夫せいの詩も2つうたってくれた。
それから一番落ちついた そしてまとまらない私が助けを呼ぶと すぐ料理を手伝ってくれた人。
手も足も軽く曲がる音楽をやる人。5人。
これだけの人に集まってもらって、夫せいはこのまえの「詩の朗読会」のお礼をしようとした。

私はいつものいすにこしかけて ときには体を柔らかくする体操などをする その人たちのまねをしようとした。 これがどうもかたい。 我が家では 私は体がやわらかいということになっていたけれども ここでは息子の次にかたいということがわかった。
ところが息子の腕は まわりからくねくねと さわってもらっているうちに 不思議なことに 変化をみせた。こんなに簡単に変化するの?
そうわらうと ボブ・ディラン好きの彼が あたまの中は簡単なのよ とくねくねしながら いった。3種類位の腕の動きを見せると あとヤーとか腕を振り上げてそれで 元気になるのよ という。 長い間調子がわるかった人なので そのシンプルなことにたどり着いた話がいやに説得力がある。
それで今 「くねくねくね ヤー!」とやってみた。

ボブ・ディランをギターで歌ってくれた人の話は 一冊の本になりそうなくらいだったけど 私ととなりにいるボブ・ディラン好きの彼の奥さん わたしにはメイコさんにしか聞こえないのだけど違うらしい。 一つ私との間にきょうつうこうがあった。
シャンプーで頭を洗うと かゆいということ。 ギターさんはスプーン1ぱいの重曹で
頭を(髪)を洗うと何も悪いことが起きないという。つまり頭がかゆいのが止まりそうな話だった。
まず重曹はどこにあるのか それは口にいれてもいいのかなど彼女は聞いている。どうやらよさそうだった。
それからギターさんの髪を見た。ふさふさしている。グレーがかっているけれども。

この人たちを見ていると 「自由」をいろんなところに実践している人たちだと思う。
睡眠不足は その言葉をまず使う必要を感じていない。
ねむたいときに その場所で眠るというギターさんは まとまって寝るのは大体4時間位めがさめたら さらに寝ることはせず なんかやる。それがいいんだそうだ。
ねこのムラカミ記者みたいだなぁ。
「ふろにはいらなきゃ」「ごはんをたべなきゃ」私は「なきゃ」のくらしをしてるなと この時思ったことだった。

そのうち ビール5、6カンを前にボブディラン好きさんと 隣の息子とがコントを始める。この人は10年ほどこの息子とは会ってなかったれども おもしろいこと なかなかのことを しゃべってくれる。聞いていると こんなにいいことを喋る人だったかしらと感心する。 息子は「なんでやねん」1本のみ。 ぼけとつっこみだからこれでいいのかな。芸術屋漫才はどうでしょう。

それぞれが多重放送なんだから 夫せいが「こら 聞かんかい」と ときに叫ぶと「はいはい」といって夫せいの近作にを見る。 こたえる人がボブさん。 しばらくするとまたぷくぷく。

「おふろをわかします」というお風呂のアナウンスで 解散。「おふろは毎日入らなくちゃ」の私が押したのだ やっぱり習慣というのは恐ろしい。
いつも思うんだけど このアナウンスは空気をかえちまう。

「今日は大丈夫だった」血圧ノートに いっしょに 書き込むことにしている。
自信をつけるためにね。

***
さて NEKO美術館ですよ。

アトリエには変化より日常の感じがあると 思うんだけど。

それは自分が いつもそこに行くからだ。
ま わたしがいないときに ものたちが 話でもしていたら
話題は何ですか?
よそのアトリエだったら こわいかな

「ほんとうは あなたは (  )を見ているだけなんですよ
この(  )はなんだったっけ

ここはそんなことが あるかもしれないと 思う場所でもある
(  )がなんだかわからないくせにね
 
《 2016.09.17 Sat  _  日記(日々) 》