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蓮以子 80歳

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「蓮以子80歳」 北林谷栄 新潮社 1993

「自画像」続きです

 彼(蓮以子の父)は当時の慶応義塾を出て、サンフランシスコの商科大学まで修め、パリパリのハイカラ紳士としての押し出しを持っていたが、私の子供ども心の印象を、いまの私の感覚でいってみるなら、ハイカラさと伝法さをいっしょくたにしたようなダンディだったような気がする。父はアメリカから帰ると横浜の商館番頭の娘である私の母と、母が17歳であったにもかかわらず結婚した。母は虎ノ門女学館の生徒で、いうなれば彼女も時代の先端を行く娘だったらしい。
 焼けてしまったこの亡母の写真のなかに、神はマァガレットふうにあげ、手に一輪の造花のバラを構えた一枚があるが、ういういしいおとがいや、胸元に反して、そのまなざししに不適な老成した趣のあったのをおぼえている。
 しかし、私は母の持っていたときく、その人を人とも思わぬようなギリッとした強さ、よい意味でも悪い意味でも、一歩もゆずらぬ精悍さを受けつぐことはできなかった。生まれた時から祖母のももでアンヨを暖めてもらい、祖母のあとばかりを追ってさびしがっていた、人恋しがりやが私である。"ばあさん子は三百値がやすい"であり、"きょうだいのうちで、いちばん抜けているのが大きいおねえちゃん"と呼ばれる、私であった。
 抜けている、抜けている、とよく人にも言われ、私はこの抜けているということはどういうことなのだろうか、とこの年齢になっても、ときどき真剣に考える。

***

「ばあさん子は三百値がやすい」
そうなんですね。昔の人はこんなふうにいってたんですね。
お父さんは慶応義塾を出て サンフランシスコの商科大学までいったパリパリのハイカラ紳士。お母さんはそんな人と17歳で結婚しています。
「パリパリ?」私はこういうとき「バリバリ」と言うのかなと。なんかまだ読み始めたばかりなのか なじむのが大変です。
 お母さんは早く亡くなったんですね。どうして亡くなったのかはまだ書いてありません。

上の写真 これは私発ですが わたしは信州に来てからもキジを何度か目にしています。
鳩やカラスやすずめとちがって キジというとはっとします。
ちょっといいとこの鳥だと思ってしまうからです。
ここで今回の1ページは この蓮以子の家柄です。はっとするでしょう? どの朝ドラだったかありましたねぇ はっとするような家柄の話。 いやぁ 無理があるかなぁ。
この「パリパリ伝説」ならぬ(いがらしゆみ作こだっけ?)「ハイカラ紳士キジ」さらにわからなくなりましたので このへんで

さいならさいなら
《 2016.08.15 Mon  _  1ぺーじ 》