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おかあちゃんおかえり

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おかあちゃんおかえり NEKO美術館発

島根県 美保関発の母は 海辺の元気のいい人でした
兵庫県の福野発の父とは 神戸で知り合い結婚しました

わたしは これは勝手に思っているのですが
手のひらは母譲りだと思っています
どうしてかって?手相を見る人が「すぱっと竹を割ったような人」
そういったからです
手の甲は父譲りです
太い血管が浮き出て まるで男のようです

わたしは だから母のようにすぱっと竹を割ったように
すっきりと生きたいのですが なぜか「もじもじ」するところが
あります

わたしはこどものころ父の太い血管をつまんで 遊んでいました
そうそう 爪のかたちもまるっこくて これも父譲りです
世間話で口ごもるのは やっぱり父譲りかな
神経質なくせにぼーっとしているのも父譲り

でも母にセミのようにしがみついて生きていたこどものころ
時間のかかる買い物にも ついていったなぁ
なにをするにも 今より時間がかかりました
だから道すがら 蛇に出会ったり 草花に出会ったりしたのかなぁ

この布は母発だとわかるのですが
洗濯干場でひなたぼっこをしています
もういいかげんしまおうかなと思うと 母が「もう少し」と
いうのです。干すことも 母はどこか時間をかけてましたね

鈴木秀子作の「愛と癒しの366日」海竜社 平成8年
8月15日
 現代人の生活にゆとりがあるかという話になると、物質的ゆとりと
時間のゆとりのふたつの面を、まず、考慮します。
 時間のゆとりとは、人間の日常に自由時間のあることです。自由時間は、
自由な活動の時であり、ねむけがさしていたり、くたびれたりしていては、
自由時間といえません。エネルギーを存分に使う時間です。活動力の欠けた
人、たとえば病人などをさして、自由時間を持っている人とはいいません。
 活動力に満ちた自由な時間に対して、日本人は、「閑」という美しい言葉
を生みだしました。それは、「小人、閑居して不善を為す」の「閑」とは根本的に
ちがっています。
「閑」の真髄は、「ゆとり」なのです。

こういうことが書いてありますよ。ええっと「おかあちゃんおかえり」と少しでも
関係あるとしたら 買い物は「ゆっくり」した母と子の時間だったかも

さいならさいなら


《 2016.08.15 Mon  _  思い出 》