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おとうちゃんおかえり

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おとうちゃんの植物好き  NEKO美術館発

きのうに続いて 漢字とカタカナの父のノートを見たり読んだりしています
「世界、蘭科、美花と生まれしところ」
A カトレア(cattleya) 
 a ラビアタ
   ブラジル産(濃夢顔色、唇辯大、内方に曲がる 正面濃紫色 大紋点あり)
 b モシイエ( ここらへんあたりから もう大変という感じになって わたしは
お手上げです。

5之1組というのはおそらく戦前の師範学校のことかなと思っていますが これも兄に聞いてみたいと思いました。わたしなりに計算してみますね。

1908年12月2日 父生まれる
1914−1918 第一次世界大戦 1914父6歳 1918父10歳
1926−1931父師範学校1931 5年 18歳−23歳(ちがってるかも 兄に聞く)

このあやふやですが父が18歳から23歳のころはどういう時代だったのか?1926年といえば大正時代ですね。明治41年から(父の生まれた年1908)明治45年までが明治でそれから大正時代1912年7月30日ー大正15年(1926)

ああむずかしい(もちこたえて!)明治の終わり5年間と大正時代15年間 これを併せると20年間 つまりちちは20までのあいだに 大正デモクラシーの空気をすってますね。昭和10年結婚(1935)。 昭和16年に(1941)第二次世界大戦が始まるまで(父33歳 3人の子供)

この間の日本は文化的にも豊かだったはずです。神戸にいたということもよかったのかも。父は兄たちを植物園や動物園 水族館につれていったかも知れない。父の変わったサボテン好きの話も前にしたと思います。
南太平洋あたりの島々の珍しい植物や北海道にも珍しい植物が(父にとって)。
本で見たり情報を仕入れていたのかもしれませんね。
昭和11年生まれ(1936)の兄弟たちは戦争中戦後では大変な思いをしたでしょう。

戦後生まれの私には ちょっとうらやましいような時代を兄たちは少しだけ持ったのかも。

こんなふうにして 父のこのノートを見ていくと 背景には南洋に進出していく日本が見えかくれし 珍しい日本では見られない植物や魚 象やらくだなど 多くの人が驚きを持って父のように目を向けたのかもしれません。

長兄も とても植物や石などに興味があるようです。父の影響もあるのかもしれませんね。
《 2016.08.14 Sun  _  思い出 》