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ゴーギャン

「印象派時代」福島繁太郎著 昭和18年 光文社

ゴーギャン 最終です

 ゴーギャンのもう一つの特徴は大まかな素朴な原始性にあった。同じ文学的絵画にあっても洗練された幻想を、巧緻(こうち たくみな)を極めた色彩のニュアンスによって表現したオディロン・ルドンとは全く異なる所である。ゴーギャンは文明は人間を末梢的ならしめる、生命の核心にふれる原始の生活に戻らねばならぬとして、南海の孤島タイチに走った。彼はここでたしかに素朴な力強さ把握し得た。色彩も形態も単純化して、強烈な効果をあげることに成功した。このゴーギャンの業績は、強烈な力強さを好む青年の心をとらえて、次の時代のフォヴィズムの原動力となったが、彼はその崇拝したエジプトの神秘にも、チマブエやジョトォの宗教的の高さにも到達し得なかった。
 ゴーギャンの性格は親分肌、ブルターニュでは一群の青年画家から首領と立てられ、タイチでは土民から信頼せられ畏敬せられた。一面神経質な所があり、貧乏はやりきれないと云って常に友人に苦痛を訴えていた。共和制を愚民の政治と罵り、専制治下でなければ偉大なる仕事はできないと考えていた。社会の不正を憎む人道主義というよりも、むしろ貴族的な騎士の風格を備えていた。この精神は白人植民地の通弊である憲兵の暴厭と狡猾に我慢ができず、ついに激しい抗争をひき起こした。彼は官辺が常に白人文明のグロテスクな模倣を強制して、土民の幸福を奪うことを憤慨していた。
 一度目のタイチ滞在からパリに帰った時、彼自身が考案した異様な服装をして得々と市中を闊歩したことなどを考えると、幾分エラガリ屋で、多少虚勢を張る臭みのある人物であったようにも思われる。

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最後にこういうふうにゴーギャン像を書いた 福島さん。この文面をその通りに受け取ると ゴーギャンは一見正義感のかたまりのようでもあるけれども 貧乏はやりきれないとか 共和制を愚民の政治と罵り、専制治下でなければ偉大な仕事はできないと考えていたと ちょっと矛盾したことを云ってるようにも見えますね。
しかし画家というのは それだけで食べていくのには 絵を買ってもらわなければならない。偉大な仕事は安定した経済状況の中でなくてはできないし 政治でもちゃんと統治されていないと となるのですね。それはそうでしょうが 多くの画家が貧乏のうちに亡くなっています。ゴーギャンもゴッホも他の画家たちも ただ共通してる所はいい絵が残ったということでしょうか。

福島さんは云っています。
「しかし絵画が造形美だけで成立し得るものとしても、そこに記録性や文学性を含んでいたら、これらの要素は絵画に有害なものであろうか。記録性や文学性を含む絵画は、一団低い芸術であろうか。これらの説を是認する根拠は一つもないように思われる。記録性や文学性は絵画の成立要件ではないとしても、それらが絵画の成立をさまたげるとは思われない。要するにこれらの性質は、絵画にとってあってもよし、またなくても差し支えないのである。その有無によって絵画の種類傾向の区別はできるけれども、優劣を論ずべきではない。」

そういうことを云っている福島さんも 他ではもしかしてその時代の空気を吸っているかもしれませんね。
昭和18年の「印象派時代」面白かったです

ゴーギャンの矛盾した風に見えるところも ゴーギャンの絵にとっては 関係ないかもしれません。人間が生きていること そのなかで起こること そういうことをゴーギャンが表現している その表現が人々を動かしたし動かし続けているということ。
そんな絵を描く人が 神経質だったり オシャレに人一倍気を使っていたり 貧乏は嫌だと言ったり 近くにそんな芸術家 いそうですよね(笑)

さいならさいなら
《 2016.07.06 Wed  _  1ぺーじ 》