ゴーギャン コレクション瀧口修造 1991 みすず書房
ゴーギャン
最近ではシュルレアリスムの詩人アンドレ・ブルトンがラジオインタヴュー(1950年、ベドァンとドマルヌの両人との対談)でゴーギャン論をこころみたのは、単なる絵画論をはなれて興味深いものであった。このラジオ対談はゴーギャンの有名な作品の題名「われら何処から来るか?何者なのか?何処へ行くのか?」をそのまま題名としたもので、質問者はそれによってシュルレアリスムの現状を質そうとしたものであるらしいが、ブルトンは、ゴーギャン作品「われら何処から来るか?......」こそ今日の真の謎を的確にあらわしたものだとしている。この三つの謎にくらべれば、スフインクスの謎などは児戯にひとしいもので、オイディポスがその平凡な謎に答えて威張っているのにはあきれざるを得ない。このようなギリシャ神話は人間を環境の主人であると思い上がらせることになった最大のカラクリだというのである。こうしてギリシャから現代までの西洋の技術的な進歩は今破滅の危機を呈しているのだが、この窒息状態を脱出して内部生命の源泉をもとめようとする動きが19世紀初頭から起こっている。ノヴァリスやネルヴァルからゴーギャンを経てランボーに、さらに現代のシュルレアリスムにいたる系譜がそれである、とブルトンはいわばわが田に水を引いて、このゴーギャンの作品の今日的意義を強調しているのである。
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「今日の真の謎を的確にあらわしたもの」
これがシュルレアリスムというながーい ものなんですか?
「スフインクスの謎それは児戯にひとしいもので オイディポスがその平凡な謎に答えて威張ってるのにはあきれざるを得ない」とブルトンがいったんですね。
スフインクスの謎ってどういうもんなんだろう。だれがつくったとかなんのためにつくったとかそういうことなんですか?
そりゃあ われわれの出所と 死んでどこに行くのかのほうが謎かも。
ゴーギャンのこの言葉 結構使ってみたくなりますよね。
ゴッホがねゴーギャンといっしょに外へ描きに行った時のこと
ゴッホは絵の具でそこにあるものを一生懸命描いている。ゴーギャンはというとそうはしなかった。たしかそこの場所から感じることを想像するでしたっけ?
この2人はちがうなぁと思ったものです。
現代ではどうなんですか? ただそこにあるものを描くだけでは 納得していないようではありませんか? そこに象徴的なものが含まれていないとね。
その癖って 見る側に 考えさせようとする(わたしには癖とうつるのよ)。
わたしも そういうところが出てきちゃって。
ゴーギャンの今日的意義
さいならさいなら