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ブロンテ姉妹

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ハワースの荒野 撮影著者

「ブロンテ姉妹」その知られざる実像を求めて 中岡洋 2008 NHKカルチャーアワー

再婚の試み

 妻の病気治療代として多額の金がかかっていたが、有り難いことにパトリックの友人たちが援助を惜しまなかった。しかし教区の仕事を果たしながらいかにして子どもたちを育てればよいのか、妻を失ったパトリックは途方に暮れた。エリザベス・ブランウエルはことが落ち着くまでもうしばらく逗留を延ばしてもよいと言ってくれていたものの、パトリックとしてはなんとか女手を得ることが必要であった。なぜなら、家を治める女主人がいないことには一家がうまく治まらなかったからである。
 そこでパトリックはもし縁があれば再婚しようと決心して、知り合いの女性に結婚の申し込みをした。子どもたちがなつき、子どもたちのことを愛情をもって見てくれる女性がいた。ソーントンで家族同然の付き合いをしていたキッピング・ハウスのエリザベス・ファースであった。妻マリアが死んで三カ月後、パトリックは1821年12月8日(火)から10日までキッピング・ハウスの客となったが、結婚については言い出せなかった。帰宅したパトリックは12月12日(土)手紙によって求婚したが、12月14日(月)、拒否の手紙を受け取った。パトリックにとっては大きなショックであったにちがいない。このときエリザベスはジェイムズ・フランクス師(1793−1867)に好意を寄せており、その後1824年4月27日(火)にエリザベスとフランクス師は結婚した。結婚してからもエリザベスはブロンテ家の子どもたちに変わらぬ愛情を注ぎ、彼女たちの安否を気づかっていた。

***

パトリックの小さい子供を抱えての 教区の仕事は大変です。
そのころは保育所なんてものもなかったでしょうしね。
エリザベス・ハースに再婚相手になってもらおうとしますが なかなか言い出せません。
それは大変な責任でもあるからですが それよりもエリザベスには心を寄せる人がいたのですね。そしてその人と結婚してしまいます。それでも エリザベスはこの家族に気を使ってくれます。信仰心の厚さと パトリックの人柄でしょうか まわりにはいい人がいますね。
6人のこどもですからね。

さいならさいなら
《 2016.05.13 Fri  _  1ぺーじ 》