日々 2016 NEKO美術館発
島根県の美保関の80近くになるいとこから 「蝶形の扇」をいただく。
美保神社のあるところで 祭事は 多い。母はこのいとこのうちで100年以上前に産まれたわけで。
ところで 縄文時代とはどうかかわるのだろう とつい考えてしまいます。
「大陸文明の扉を開いたのは韓国半島から渡来した製鉄族。また、稲作の到来でした」
宋 左近さんこれが弥生人の到来ですか?4〜5世紀にかけて良質の砂鉄を求めて鬱陵島→竹島→隠岐島→美保関経由で「島」(日本本土)の「根」(中心起源)の郡(現在の松江市東部)にやってきて、出雲・伯()の山奥を目指しました。(出雲神話)
かなりの文明を持っていたわけですね。前300年以降 大陸から続々と渡来してきた新モンゴロイド縄文人、つまり弥生人に、旧モンゴロイドの縄文人は制服されてしまった。(宗 左近)
時代はちょっとちがいますね。
しかし いえることは 縄文時代が一万年以上続いていたら 新しい文明はもたらされなかったかもですね。しかし縄文人は 混血がすすみ その文化は滅ぼされてしまった ということなんですね。 出雲の国についても 神話になりそうになっていたんですよね。
しかし遺跡が出てきたというわけで。
時代は神事で受け継がれ かっての歴史を見ることができる。
大陸でも 国は滅んではまた新しい国ができていったんでしょうね。
しかし 縄文時代でも 弥生時代でも そして出雲の国でも その魂はどこかでうけつがれていくんですね。
それにしても 鉄というものは 貴重だったんですね。
写真は関係ありませんよ。布の花瓶に「ゆきのした」をさしたのかな。
縄文時代に「ゆきのした」あったんかな。
さいならさいなら