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ランドセル

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ランドセル   2016

息子一家が 孫連れて やってきました
車からおりてきた一年生になった女の子と2歳の女の子
一年生の子が きれいなピンク色のランドセルをおんぶしている

わたしはぼーっと見ている

その子らが帰ったあと わたしは ふっと気がつくのです
ランドセルの話をもっと聞いておけばよかったと

わたしは ランドセルの話を ファイルで集めているのにと思ってね。
そのファイルには ランドセルをおんぶする 夫やわたし
大人になったこどもたち あかんぼうの孫にも背負わしてる写真が
あります。

子どもたちの赤と黒のランドセルを のこしておいたのですから
小学生以外だと どんなにちぐはぐか 見てみたかったのです。
みんな大人になっても 案外似合っていたりして それはちょっと
残念でした。
90歳や86歳のおじいちゃんやおばあちゃんにおんぶしてもらったらよかった
そう思います。

そんな感じなので 車からおりてくる孫のランドセルに「やや!」とアンテナが
反応しなかったわたしは やはり感度がにぶっています。

そのくせ ランドセルのふたの内側にある 大きな時間割表に 何も書いてなか
ったことが 気になるのでした。
わたしはいまだに この時間割の夢をよく見るのです。
時間割を見ずに学校に行って 途中で忘れ物があると気がつくという夢です。
わたしの通った小学校は本当に遠いのです。忘れ物をしたからって 帰れるような
距離じゃないのです。中学校も同じところ。 高校はバスで そこはもっと遠いの
です。 この高校の時間割のだったのかなぁ。
で 孫の時間割表はでっかくて まだなんにも書いてない。バスに乗り遅れる夢と
ともに わたしは学校を楽しめてなかったのかなぁ。みなさんはどうですか?

さて不思議なことに(けっこう不思議なことにが好きな私ですが) Arneという
2005年3月15日の本に大橋歩の「わたしのランドセル」というエッセイがあ
ったのです。 本がふえてきたので それでも手放せない本もあって まよいつつ
「もう1回読んでみよう」とひらいたところが このエッセイがあったのです。
それはものがないころの ランドセルのちょっとかなしい大橋さんの思い出話です。

わたしは 昭和24年生まれですが ランドセルは革製の今から考えると立派なもの
でした。色は赤。わたしが恵まれた家庭で育ったということを 大橋さんのこのエッセイが教えてくれます。 
他の子のランドセルで大きな花の模様のついたのがありました。
わたしは その子らのランドセルがいいなぁと思っていました。人のがうらやましいのです。手袋でもスカーフでも。でもその子はわたしのランドセルのように丈夫そうなのが
いいなぁと思っていたのかもしれません。

大橋さんの草色のランドセル(アーミーカラーともいう)大橋さんともう一人の男の子だけが同じランドセルでした。 このランドセルのことからはじまって 大橋さんの家の事情とかをあげつらって 大橋さんを とことんいじめたのです。 それから話は続くのですが これぐらいにして。

小学生のときだけ使うランドセル。みんないっぱい思い出をつめこんで卒業するんだろな。



 



《 2016.05.12 Thu  _  わたしでいいですか 》