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おたより

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美保関のしーちゃん げんきですか 2016

春の海はどうですか。
戦後しーちゃんの家が建てられたとき しーちゃんはこどもだったんですね。
60年以上前ですね
大喜びした思い出話でしたね。 その時はお父さんお母さん お春ばあちゃん(おじいちゃんはいたの?)みんなで喜んだのね。
ほんの子供の時なのによくおぼえていましたね。

その家のいろんなところが「いたんできて」という話 
それと同時に 戦後生活が苦しかった話
このまえはいっぱい聞きましたね。

お父さんの郵便配達の仕事は 戦地から帰ってきてからの話ですよね?

きょうはしーちゃんのおばあちゃんが縫ってくれた 綿入れを
夫が着ている写真が出てきたので しーちゃんに書いてみました

うちには母にお春おばあちゃんが送ってくれた(わたしからすればおばさんだけど)
綿の入った「そでなし」やこういう「綿入れ」があります。お春おばあちゃんは母の姉
「なんでもござれ(なんでもできる)」の春さんだったと母はよくいってましたよ。

戦時中の家は床下を焼夷弾が通ったとか
そのうえで私の兄が まだ赤ん坊で 寝ていたんだとか
母は 神戸にいて状況があぶないというので お春さんのところに兄をあずけたんですね。
しーちゃんは まだいない。戦後生まれだもんね

こうしてむかしをたどっていくと にっぽんのミニ歴史を学んでいるようで いいね。
そこにいた人たちがほとんど あの世に行っちゃって 
今美保関にいるのは しーちゃんのお母さんとしーちゃん 母の実家の(近く)70代も終わりのいとこ ぐらいかな あってる?


《 2016.05.12 Thu  _  おたより 》