『現住所は空の下』高木護 1989 未来社
一期一会
大蛇さま
通りかかった村で、大蛇のはなしを耳にした。
お爺さんが二人、お婆さんが一人いて、道端に座り込み、お爺さん二人は火の種を手のひらにころがしながら、キセルにきざみを詰めて、けむりを吹かせていた。お婆さんはどちらかのお爺さんの連れ合らしかったが、二人のはなしに相槌を打っていた。
「おぬしゃ、大蛇さまを見たっかいの」
「見たとも」
お爺さんにしては大きな声だったから、ぶらぶら歩いてきたわたしにも聞こえてきた。
「どげなくらい、太かったかいの」
「あの大蛇さまは太かったの」
「三メートルくらいはあったかいの」
「あったとも、十メートルはあったがの。おら、たまげたぞ」
「そげに、太かったっかいの」
大蛇さまといっているのを、耳にしたときにはヘビだとは思わなかったが、どうやら大蛇を見たと言うはなしらしかった。アマゾンかどこかのジャングルならともかく、通りかかったところは福岡県と大分県との県境の山奥の村だったから、こんなところに大蛇がいるものか、嘘をつけ!ホラばなしでもして、たのしんでいるのだろうと思ったが、わたしはお爺さんたちのはなしを盗み聞きしようと、わざとのろのろ歩いた。
「ノドが渇いたけんの、水でも飲もうかと、谷の下ったらの、おったのじゃ」
「あすこにかいの」
「そうじゃ。山ん道を上っての、下がった穴が迫(さこ)におったのじゃ」
「ぬしゃ、よう逃げてこられたの」
「そこじゃがの、あの大蛇さまときたら、太り過ぎてござったのか、のろまじゃったがの。おらを、とろんとした眼で見よらしたが、谷の穴っぽんに大儀そうに消えて行かしたがの」
「おとなしか大蛇さまじゃったの。とろんとした眼で、見らしただけじゃったかいの」
「よかおなごのごつ、とろんとじゃ」
二人のお爺さんはくしゃくしゃした声で笑った。お婆さんも笑った。
山ん道を上って、下った穴が迫というところに、大蛇がいるそうな、とわたしはつぶやいてみた。
よし大蛇見物に行くことにしようと思った。
ぶらぶら歩いているところは山への道だったが、そこを上って行き、下ったら谷があるだろう。そこがお爺さんたちがいっていた穴か迫かどうかはわからないが、もし大蛇がいるとしたら、人間のにおいを嗅ぎつけてあらわれるに違いない。大蛇が出てきても、呑み込まれなければ、後学のためにならなくとも、はなしのタネくらいにはなるだろうと思った。
ホラばなしにしろ、ふつうのへびよりも、大きなのがいるかもしれない。長さも二メートルくらいあるかもしれない。胴のまわりも湯呑みくらいあるかもしれない。頭もめし茶椀くらいあるかもしれない。大きなヘビを想像してみただけで、わたしは胸がどきどきしてきた。
ーコウジサン、コウジサン
大きなへびがいても、のもこまれませんようにと、お呪いを唱えた。
山道を上り、下った。
そこらは杉山になっていたが、凹みを谷が流れていた。
ー谷があるたい
わたしはもういっぺん、「コウジサン、コウジサン」と、お呪いを唱えた。
「大蛇さま、どこかにおるとかいた」
向こうが出てくる前に、大蛇さまお爺さんたちの真似をして、と、こちらからよびかけてみた。
「おるとなら、姿を見せてくだはり」
「.......」
***
いやはや つづきはいずれまた