who am ?I

PAGE TOP

  • 05
  • 08

書く?

スキャン2160.jpeg
書いてみる縄文土器  宋 左近 サライ・インタビュー1993
絵 NEKO美術館発 (関係ないんですが)

たとえば青森から出た遮光器土偶。顔中が目のような。その目がまた尋常じゃない。大きくて丸い。見開かれている。ところがまん中に一本の横線がある。つまり閉じられている。開と閉が一体になっているんです。醒めていて、眠っている。生きていて、死んでいるんです。
 「ほんの今まで見ていた、でも今は光りを遮って何も見ていない。大きく開いていても、見たくないんです。祈りの頂点から、空しく落ちてしまった人間の目。縄文晩期の作品です。弥生、大和に追われていた時代です。彼らはまさに神を失おうとしていた」

***
「人間は 混血しながらのこったけれど 縄文文化は弥生人の大和朝廷によって抹殺された。忌むものとして徹底的に破壊され、消されたんです。それが今も続いている。弥生時代から現代までのやく2000年余り、日本人は、いわば弥生人として生きてきたんです。勿論われわれも。縄文について余り知られていないのは、そこに遠因があるんだと思う。縄文人の人口は推定、延べ一億人前後。土器、土偶の総数は1500万点。これだけの数ですから、昔から数多く出土していたに違いないんです。ところが抹殺されて、日本人の美意識の下層に眠り続けてきた。」宋 左近

そうなんですか。縄文人たちは弥生の大和朝廷と 何にもなしで負けたわけじゃないでしょうね。戦ったかも知れない。でも空しく敗れた。
ここにおいて そのことが 頷きになります。逃れた先が人々の心の奥底になったのですから。冨士山のふもとに「えみし」とよばれて住んでいたらしいですね。冨士山はその人たちの神であったのかもしれませんね。

さいならさいなら
《 2016.05.08 Sun  _  1ぺーじ 》