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音楽のはなし

「音楽を聴いてみるとき」NEKO美術館発

テレビで指揮者のカラヤンのドキュメンタリーをやっていました。
黒のタートルネックというんですか それは指揮者にしたらラフな格好でしょうか。
だいたいあの指揮棒を振れば 演奏者たちがどうなるのか わからないままきた私は
興味深くあの番組を見ていたのでした。

音楽ホールで演奏して 多くの観客の人々が曲を聴いて 非常に感動します。 
しかし その演奏を のこしたいと カラヤンは思うのですね。そうか演奏は音符はのこせても その時の演奏は その録音のプロの人たちがのこすんですね。それが日本の ソニーだったりして。
ソニーはこんないい仕事をしていたのかと 自分のことのように喜んだりして。
で カラヤンが指揮をすると 魔法のようにぐぐっと左手をひきこむようにして それからなめらかに よこにのばしていく。そうなんだねぇと感心する。夫はもっと上手にその真似をしてみせたのでした。

そのことはここまで。わたしの話も聞いてください。
つぎに わたしが 今までとったテープを たとえばフジコ・ヘミングのひくリストの曲をとってたので聴いてみようと テープレコーダーを持って来る。

レコードプレイヤーは 最後に何の曲でプチンとこわれたんだっけ? 「これでおしまいたい!」なんて予告なしの一曲だったな。こうして物とさよならしていく。私の中での音楽をきいた歴史が よみがえる。

テープレコーダーの電池は多分期限切れだろうから 買って来よう。でどこにいれるんだっけ? あったあった でも おかしいなあ 作動しないテープレコーダー。
鳥の声をとりにも行ったこともあったなあ。 何年まえのこと? 鳥の声は いいけど私の咳はいいかげん とろうとすると 出るの。 自分のことながら 腹がったったなぁ。

夫に電池を入れ替えてもらう。中のバネを見ながら 間違えてる。 よくある話。 そとにプラスとマイナスが大きく書いてあるやん。でも 作動しない。
やっぱり 年月は こういうものをだめにすると がっかりした。
ところが しばらくして 電源(スイッチ)が入っていないことに気付く。
やっとフジコ・ヘミングだ。

カンパネルラだったよな。案外激しいな。
まだ 気持ちが この激しさに ついていけないな。
でも この前 8ミリカメラはべとべとになってたけど テープレコーダーは元気。
いろんなことがあって こういうものをいじってなかったのかな 自分のことなのに
よくわからない。

カラヤンの話だったね。いろんな人に影響を与えたんだ。
かってカラヤンが来日したとき 上智大学でチェロをひいていた 学生が(女性)カラヤンに「自分たちの音楽部の演奏を指揮してほしい」と頼みにいったことがあるんだね。それがひきうけてくれるんだね。その様子がのこってた。なんども「ちゃうちゃう こうするんだよ」と真剣に教えてた。

フジコ・ヘミングはどうだっけ。「フジコ・ヘミング」 求龍堂 2000年に出版された本に「カラヤン、光りの中の魔法使い」と題してカラヤンとの出会いを 書いてるよ。
このページを全部読んだけど 打つのは今度の機会にしなくちゃ。

フジコ・ヘミングいわく
「わたしはカラヤンに、この紙切れを手にして、練習をしている人に聞いた。カラヤンに、"あなたのところへあいさつに行きたい。そして、ぜひわたしのピアノを聴いてください" いたずら半分でもあった。無名の人間のことなど、相手にはしないだろう。じっとわたしのことを見ていたからといっても(指揮をしている時に)、それは何かの勘違いかも知れないんだし....。
 ニューヨークのメトロポリタンの歌手がカラヤンに指揮を申し込んで、三、四年待ったあげく断られるのだ。まして一介の無名の人間だ。それにマネージャーがしっかり押さえているに違いない。
 しばらく、練習しているオーケストラを見ながら、聴衆のいない講堂の席でぼんやりとしていると、側近らしい人がやってきてこう言った。"OKだって言っている"」
ところが フジコ・ヘミングはこの「OK」にひるむ。 そしてさんざん迷ったあげく 行かなかった。 どきどきするね。この本を読むとしっかりその経過を書いてあるよ。

ここにいるだけで 音楽の話は こんなにある。人々の体験を読んだり聞いたりするのも
楽しいだけじゃない。心がすぐ疲れる。ゆっくりしたくなる。

つばめはおしゃべりだね。電線でひとやすみして ぺちゃくちゃやってる。でもなめらかな声。




  
《 2016.05.07 Sat  _  わたしでいいですか 》