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ピカソ

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世界の美術「ピカソ」1963 植村鷹千代の続きです

第二次世界大戦以後

 第二次大戦中は、ピカソは避難しないで逆にナチ占領下のパリの古いアトリエで過ごした。<フランコの夢と嘘>や<ゲルニカ>を制作したピカソがナチに評判がいいはずがないが、ドイツ軍はピカソに作品の発表を禁止した以外、公然とした迫害は加えなかった。ピカソも公然たる反抗はしないで、静かに絵を描いていたようである。ピカソのこの安全については、いろいろの説があるが、彼の世界的名声が、ドイツ官憲の手を控えさせた安全弁であったとの見方が強いようである。ピカソはこの間、戦争画は一枚も描かず、本能や獣性を強烈に表出するエロティックなデッサンや静物、夫人像を無数に描いている。これもピカソらしい面目である。
 戦争が終わって1944年にパリが解放されたとき、占領下のパリに頑張って一歩もドイツ軍に譲らなかったピカソは、フランス中から礼賛の的となり、1944年のサロン・ドートンヌはフランス人でないピカソに敬意を表する意味で、とくに1室を提供して80点の近作が並べられた。

***

戦争画を描いた画家たちは多かったと思いますが 戦争を批判した<ゲルニカ>はええっと 351x782cmの作品がパリの一室にあって そこへナチスが来るという構図じゃなかったですよね。
それを見て「これはどういう絵?」とナチが聞いたところが「この絵はね君たちがやったことだよ」といったんでしたっけ? その絵は描きかけのところで キュビスムだからなちにもよくわからなかったとか? そこらへんのいきさつが知りたいです はい。
画集では ゲルニカはニューヨーク近代美術館蔵と書いてありますが この世界の美術が出版された1963年のころ。
1939年にニューヨーク近代美術館で個展をしていますがそのときに ゲルニカもニューヨークに運ばれたのかもしれません。スペインに内乱が勃発したのは1936年 フランコ将軍に加勢したナチスドイツ ああわからんようになった(笑)
とにかくゲルニカがナチにもって行かれなくてよかったということで。

さいならさいなら
《 2016.04.17 Sun  _  1ぺーじ 》