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21歳

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グラバー生誕の地、スコットランドのフレイザーバラの町並み
下は父親が沿岸警備隊に勤めていたため、感謝は常に海のそばにあった。
サライ1996 6月20日 発掘、グラバーの偉業より

夫の仕事関係の人がみえました。旅行とそこでのむうまい酒やビールの話がいっぱい出てきました。
いまはその明くる日なんですが いつものように雑誌をパラパラとめくっていると きのう聞いたスコットランドのどこそこのビールがうまいんですよ と言う話がサライに出ていました。 なんでもそのビールの入れ方 ビールがあるところ いろんなことがあっておいしいのだそうです。
その人は真澄という日本酒をちびりちびりとやりながら おいしい酒やビールの話 食べ物の話を落語をやるように話します。夫とわたしと息子は酒があまり飲めないので じっとそのおいしそうな話に耳を傾けていました。

朝ドラで「まっさん」というのかありましたが これはスコットランドのウイスキーの製法をむこうで勉強してきて 日本にウイスキーをもたらした男性の話です。
きのうのお客さんの話の中で出てきたのは 泥炭 土の無い荒れ果てたスコットランドの漁村の話。わかめを肥料にして土をつくりじゃがいもをとる。アラン島の話。

さてグラバーが上海経由で長崎にやってきたのは1859年(安政6)21歳の時だったそうです。ペリーの浦賀来航から6年後で、9年後の「明治」を目前にした年だったそうです。
わたしは知らないくせによく思うんですが 日本で歴史に残るような人のなかには たとえばグラバー ラフカディオハーンとか 本国ではちいさな漁村とか なんでもないところから 舟に乗って働き口を自分で探したりしながら 旅をして日本に立ち寄り それからという感じの人。
それが すごいなぁと思うのはわたしだけですかね。 東アジアで冒険家に似た商人たちの成功談がこういうグラバーのような若者を駆り立てたのかも知れないと書いてあります。
21歳のときなんて いまでは大学生ぐらい。23歳ですでに青年実業家。

そうそうスコットランドのビールはうまいというはなしでしたね。
美保関のしーちゃんが送ってくれた じゃこもお酒のツマミに好評でした と便りに書こう。 お客さんは ラッキーでした。ちょうど「たけのこごはん(あげいり)」がたきあがったばかりで それから「なのはなのおひたし」(わさびじょうゆ)と「じゃこ」があったんですから。わたしは料理が苦手で でもたまに「おかしいな うまいぞ」というのができるのです はい。

なになに 国産ビールの生みの親 麒麟の髭はグラバーの髭だった?


《 2016.04.15 Fri  _  1ぺーじ 》