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寒山

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寒山  入矢義高注 昭和33年 岩波書店

生死の譬えを(たとえを)識らんと欲せば

生と死についての喩えを(たとえを)知りたいというなら、まあ氷と水とで喩えてみることにしよう。
水は凝結すると氷になり、氷は融けると(とけると)水に還元する。
それと同じように、死んでしまうと必ず生まれかわるものであり、生まれでるとやはり死ぬものである。
氷と水とは、しかし、相手を傷ないあうことはない。それと同じく、生と死とはやはり両者相並んで善きものなのである。

***

寒山の漢詩をそのまま読むのは あの高校生のとき逃げ腰だった漢文を読まなければならないということですよね。でもこの翻訳というのか注というのか こんな水墨画のような(たとえがおかしいですか?)ことが書いてあったんですね。父がふすまに描いていて
 毎日目にするたび(いやがおうでも目の前にあるのですから)こんな寂しい山の中にこのじいさんはどうして一人で住んでいるのだろうと思ったものでした(ほんの子供のころ)
寒山の詩は俗世をはなれて 詩人としてもてはやされることもなく 老いていくわが身をうれいたり いやこんな人里はなれた自然の美しいところで 自分は幸せだといったり
そして今回の詩のように仙人のように教えたりしています。
だれか こんな人いたよなあ と。寒山みたいに仙人のようではありませんが 「高木護」さんもぶらぶら歩きをしたはなしを書いてはりますよね。

こういう詩は あのふすまの絵のように 自分にはふるさとのように 身についているのでしょうか いいんですよね。この本を読もうともしなかった頃 落書きを(絵)してしまいましたが 自分にぴったりの詩集だとわかって うれしいですね。
高木さんの「現住所は空の下」のなかにも仙人という言葉が出てきますが。
《 2016.03.28 Mon  _  1ぺーじ 》