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ピカソとその周辺

『ピカソとその周辺』フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳 1964 昭森社の続きです。

スタイン家の土曜日

 絵画における当時の彼の好みは、グレコ、ゴヤ、プリミティーフ、特にアングルに向かっていて、彼は好んでルーブル美術館に行って、アングルを研究していた。
 彼は夜の外出が一層頻繁になり、招待にもちょいちょい出掛け、土曜日には必ずスタイン兄妹の家を訪れた。その頃彼らの家で、ナーデルマンという才能豊かなポーランド人の彫刻家と知り合いになった。その作品は、既におびただしい数にのぼっていた彼らの近代画の蒐集の中に加えられた。九時にはアトリエも狭すぎて、次の部屋に客があふれるほどの込み方だった。芸術家、放浪芸術家、ブルジョワ、殊に外国人たちが入り混じっていた。こんな種々様々な人々が一堂に会して、しかもみんな一様に美術や文学を論じ合う光景は奇観(きかん 珍しい眺め)だった。
 中には食卓からは離れない連中もあった。
 主人兄妹は各グループの間を愛想よく取りなしていたが、彼らの二人の偉人、マチスとピカソとに、特に心を惹かれていた。
 力に満ちあふれていたその頃のマチスは、ピカソの鈍重な攻撃に対して、嫉妬深く弁明していたが、その態度はまるで伝道者のようだった。彼はいつも明快に、理知的に説明し、あくまで相手を説き伏せようとした。
 ピカソはめったにそんな骨折りはしなかった。いつもかなり皮肉で、彼を理解しようとしなかった人々を幾分軽蔑していたと思う。
 これらの夜会は不愉快なものではなかったが、ピカソはほとんど初めから終わりまで、むっつりしておし黙っていた。人々は彼を煩さがらせた。特にフランス語では言い難いことを、彼に、無理に言わせようとし、彼が説明したくないことを説明させようとした。 
 彼は、そこから出てくると、ひどく疲れて腹を立てていた。ある日、スタイン兄妹がピカソの許可を仰がずに彼の二枚の作品に艶出しニスを塗ったのを見て、彼は冷たい怒りに襲われた。ニスのために不自然になったと思われる作品を取り戻して、直ぐ帰りたがった。騒動を起こさせないようにするには、並大抵の苦労ではなかった。こうしている間も、この小さなもめ事に気がつかなかったスタイン兄妹は、憤怒のあまり真っ青になったピカソに、遠くの方から微笑しながら、人々の間を愛想よく行き来していた。
 ことの次第を知った時も、やはり微笑しながら、このニスは直に消えてしまうし、ちょっとためしてみたかったのだと、ピカソに言って、彼の立腹を面白がった。
 ピカソは、しばらくの間、彼らにいい顔をしなかった。しかし彼らのねんごろな誘いや、更に彼らがあらゆる場合に示した賞讃に、いつまでも逆らってはいられなかった。ある日彼らは彼を迎えにきた。ピカソはまた彼らの家に行くようになった。賞讃され、ちやほやされることを好むという、多くの大芸術家に共通の弱味を彼も持っていたのである。

***

当時の彼の好みは特にアングルに向かっていた。

ピカソはよくルーヴル美術館にアングルの絵を見に通っていたんですね。グレコ、ゴヤ、プリミティーフ、まわりにはピカソの興味を惹くものがあったんですね。そして それらはピカソの絵のどこかに現れている。
どこで読んだんでしたっけ ピカソは率直な人だったんですね。
ナーデルマンというポーランドの彫刻家 また人名事典でしらべてみようかな。 そして九時からのスタイン家では 芸術家や放浪芸術家、ブルジョワ、特に外国人たちが美術や文学を論じ合っている。スタイン兄妹の家はそんな人でいっぱいになったという。すごいなあ。 日本人の場合は師弟関係で 同じやり方をするグループが寄り集まったのですか? ピカソたちの場合 各グループがマチスとピカソのようにいて スタイン兄妹がその間を愛想よく取りなしていたと。画商、蒐集家っというのは人によるのでしょうが。
アメリカからやってきたこの兄妹は 二人ともピカソによって描かれているんでしたっけ? もう一回見てみたいな。 この兄妹がピカソの絵にニスを塗って ピカソが激怒した話 芸術家ピカソと蒐集家スタイン兄妹、ピカソはいかにも芸術家らしいし、プライドもあって怒って当たり前かも知れないですよね。 ところがスタイン兄妹はゆったり構えているように見えますね。オリヴィエの目がちゃんととらえているところが いいですよね。 こういう話読みたかったと思いませんか?

賞讃され、ちやほやされることを好むという、多くの大芸術家に共通の弱味を彼も持っていたのである

さいならさいなら
《 2016.02.29 Mon  _  1ぺーじ 》