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ピカソ

世界の美術 ピカソ 河出書房 1963

キュビズムに向かう前夜

 一方、ピカソは、<アヴィニヨンの娘たち>がイベリア彫刻からインスピレーションをうけたものであると、セルヴォスへの手紙のなかで告白しているから、それも重要なキッカケであったにちがいない。イベリア彫刻は、スペインにおける古代の彫刻で、考古学者の間で当時議論の的になっていたものであるが、ちょうど1906年の春に新発見があって、発見品がルーヴルで展示された。敏感なピカソは早速この発見品から有力なヒントをうけたのであろう。<ガートルード・スタイン像>(1906年)や<自画像>(1906年)、<二人の裸婦>(1906年)などにその影響が現れている。とくに顔の形と目、鼻、口の単純化されたフォームに、その影響が認められるが、<アヴィニヨンの娘たち>では、その影響がとくに人物の顔とポーズに明白に現れている。

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<二人の裸婦><泉のほとりの女たち>1920年 これらがスペインの古代のイベリア彫刻空影響を受けてるんですね。お見せできなくて残念ですが 太ったお姉さんを型を取って素焼きにしたような絵です。ギリシャ・ローマの古典形式の影響が強く出ていると書いてあります。ピカソは新しいものが出てきたりするとただちに強く影響を受けて作品の中に出してくるというわけですね。<アヴィニヨンの女たち>の絵は向かって右手の二人のまるでこわい顔でひどい格好をしている女を描くにあたって26歳のピカソは何を考えていたのか。これでピカソの絵はカーンワイラーに買い占められるほどになるのですが。そこのところもきっと批評家はなにか書き残してると思うんだけど。新しいものを表現する ふわっととぶ時のきっかけって何だったんでしょう。
《 2016.02.28 Sun  _  1ぺーじ 》