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ピカソ

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ピカソ 世界の美術 河出書房 1963

15x17cmのこの画集は私が十代の時に父が買ってきたんです。
ゴッホ、ルノアール、セザンヌ、ピカソ(シリーズで出ていたのです)家にあったのは これぐらいだったと思います。 画集の中の絵を見た後、感心するのですが この画家たちの絵がどのようにすごいのか そこまでは読むことはありませんでした。
ゴッホだけはその画家の人生があまりにも大変だったのでそこのところは読んだように覚えています。
66歳になって こうしてホームページでパタパタと打ってみることに興味を覚えると ピカソについても その絵に 驚いているだけじゃなく 批評家や画商が この画家の絵をどう見ていたのか 読んでみたくなりました。それも十代の時に見た画集を通して。
ピカソの画集は それこそ でっかいのから 伝記から こどもやよめさんが書いたピカソのこととか たくさんありますね。あんまりたくさんあると ピカソはキュビズムじゃないですがどこからみても ピカソで もうわかったというので ほっといたんですね きっと(笑)
 さて あらためて 植村鷹千代さんの話を読んでみますか。 この人はどういう人なんやろ。ピカソの絵についていろいろいう人。最近そういう人のことも興味が出てきました。名前からして すごいですね。ここから書くのは 植村さんの文です。

ピカソ

ピカソ芸術の出発とその背景

 パブロ・ピカソは1881年10月25日スペインのマラガで生まれているが、父親はバルセロナで美術学校の教師をしていたので、彼が教育を受けたのは大部分バルセロナだった。母親は銀細工師の家の出で、家庭は両親のほかに彼と妹の4人家族であった。ピカソが15歳のときに妹の肖像を油絵で描いているが、この絵は実に完璧で、画家としての
天来の才能を示すものであったという。ピカソという姓はイタリアのオリジナルで、多分もとはゼノアから出たものだろうとされている。
 ピカソの青年時代からの友人であった文学者のガートルード・スタイン女史は、ピカソの性格について、次のようなことを書いている。
「体質からいうとピカソは母親に似ている。けっきょく彼は母方の姓を名のることになったのだが、スペインでは、ふつう父方と母方の両方の姓を名のっていい習慣になっている。ピカソの父親はルイス、母親の方がピカソだったから、彼はスペイン流にいうと、パブロ・ピカソ・イ・ルイスということになる。初期の作品ではパブロ・ルイスと署名しているが、パブロ・ピカソの方が名前としてははるかにいい。パブロ・ピカソ・イ・ルイスでは署名に使うには長過ぎる。そこで彼はあっさりパブロ・ピカソと署名し始めた。
 彼は他の子供がABCを書きはじめる頃に絵を描いたが、うまれながらにして素描力をもっていた。しかも子供のそれではなくて一人前の画家の素描力を備えていた。彼の絵は、見たものを写した絵ではなくて、対象を表現していた。つまり彼の画面は最初から彼自身の言葉であり、その素描は常に彼独特の話し方であった。.....このことに関連して、私がピカソについて特に強調したいと思うことは、ピカソという人物は、完全に画家として、つまり絵画的技術者としての天賦の才をもって生まれた生来の画工であるということである。すなわち、ピカソという人間は、つねに自分を完全に虚脱する必要にかられる人間なのである。そして、彼自身を百パーセント完全に虚しくするためには、他からの刺戟を強烈に受ける必要があるのである。それが生涯を通じて一貫した彼の生き方であった。ー」

***

「ピカソ芸術の出発とその背景」ですが、やはり私ははじめから書き始めています。ピカソがうまれて名前がパブロ・ピカソになるまでが 今日の話です。たしかにこのバブロ・ピカソは迫力がありますよね。姓名判断 この名前でよかったんじゃないですかね(笑)
ピカソについてはフエルナンド・オリヴィエの「ピカソとその周辺」をずっと読んでいますね。これはピカソの恋人だったのですから とても身近に見たピカソですね。 植村さんのピカソはもうすこし客観的かもしれません。いずれにしても読んでみないとわかりませんね。

そして、彼自身を百パーセント完全に虚しくするためには、他の刺戟を強烈に受ける必要があるのである

きのうもここのところが出てきましたね。「他の刺戟を強烈に受ける」これって「必要」なんですね。そうなんだぁ。 受けると完全に「虚しく」なるんですか? わかるようで 言葉では説明できません。例えばピカソがロートレックの絵に刺戟を受けたとするでしょ。ピカソだからその臨場感から形から描けるかもしれませんね。ところがロートレックのようにずっとそこにいることはできない。ピカソに風のようなものがやってきて虚しさがおそう。 次の刺戟に出会ってしまう。脱出する。ガートルード・スタイン女史 もう少し詳しく教えて下さい。今いないんだってばー

彼の絵はみたものを写した絵ではなくて、対象を表現していた

これは なんじゃらほい

さいならさいなら

《 2016.02.19 Fri  _  1ぺーじ 》