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ピカソとその周辺

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『ピカソとその周辺』フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。

上の絵は<バルコニー> 1960年 油絵 50x61cm  ピカソ蔵/ ピカソの住む
カンヌの家のバルコニーから地中海を眺めた風景。地中海の紺青の色が印象的に青く、平和な風景である。 世界の美術 ピカソ 河出書房 1963年

スタイン家の土曜日

 室内装飾に関しては、ピカソには、多くの場合は皮肉からだったが、最もありきたりの物を買う趣味があった。彼には、あらゆる種類のこまごましたものをあつめる癖があった。 目もくらむほどの青いガラス細工品が田舎臭い模様の茶碗と並んでいた。種々様々な形のガラス瓶が、雑然とした普通の厚手のガラス瓶と仲良く混ざり合い、そのかたわらの純粋なカットグラスの重そうなかたまりは、宮仕えから逃げて来たとでもいった様子だった。
 彼はヴェルジュール、オービュッソン、ボーヴェーの壁掛の古い布片を愛好していたが、中にはひどく傷んでいるので、その模様を識別するのもむずかしいものもあった。様々の楽器、箱、色のあせた古い額縁。麦藁細工の額に入った新しい着色石版画が、食堂の壁を飾っていた。それは門番の部屋にでもあればふさわしかったであろう。彼自身もそう言って笑っていた。
 彼は、長年の間古い帽子入れのボール箱を取っておいて、その中にあらゆる織り方と色合のネクタイをどっさり詰め込んでいたが、それは彼の唯一のお洒落道具だった。
 彼は他の人々にはまるで馬鹿げて見えたような物の中に、美しい魅力を見出す事を楽しんでいた。
 労働者のような身なりをした彼は、たとえば、白い水玉模様のある、赤い木綿シャツの上に、生々しい反対色の支那縮緬のネクタイを結んで喜んでいた。
 そのネクタイが汚れていようと皺になっていようと、彼の意に介するところではなかった。彼が望んでいたものは、自分の唯一の道楽のための「覚え書き(ノート)」だった。

***

室内装飾に関しては、ピカソには、多くの場合は皮肉からだったが、最もありきたりの物を買う趣味があった。

「多くの場合は皮肉からだったが」こういう言い回しは どういうことなのかなあ?
「最もありきたりの物」「めもくらむほどの青いガラス細工品が田舎臭い模様の茶碗と並んでいた」「種々様々な形の硝子瓶が、雑然とした普通の厚手の硝子瓶と仲良く混ざり合い、そのかたわらの純粋なカットグラスの重そうなかたまりは、宮仕えから逃げて来たとでもいった様子だった」

オリヴィエは本当にうまい事言うね。

さぞかしピカソの部屋 面白いものがいっぱい。色や形の組み合わせをやってたのかな。ピカソの画集を見ていくと 線の中に色がぬってあって 模様とか柄にみえたりもする。
コラージュっていう 今?
Tシャツのなかにはめこむと きっと かっこいい。 顔だって水色と白と目の模様。ピカソは描いててワクワクしただろうな。
あの大きなピカソの目には そう見えるレンズがはめこまれてたみたい。
ロートレックやいろんな画家たちの描き方を 通り過ぎた後 ここにたどりついて それはきっと自由でいろんな可能性がうまれ 気持ちがよかったんだろうな。こぞってまわりもこういうことを やりはじめた?きっと「おれがやりはじめたんだよ」という自負があったから キュビズムは長い事つづいたかもしれないね。コラージュとキュビズムはつながってるの?「これはキュビズムじゃないよね」というのはわかるけど 「これはキュビズムなの?」<眠る裸婦>1932年など。あっ やっぱりキュビズム。まえとうしろが一緒に描いてある。でも こういう分け方をピカソはしたくなかったらしいね。描いているうちにこうなったかな。ブラックもそうなの?

河出書房の「ピカソ」1963年では 植村鷹千代さんがこういう事を云ってる。
「ピカソと言う人間は、つねに自分を完全に虚脱する必要にかられる人間なのである。そして、彼自身を百パーセント完全に虚しくするためには、他からの刺戟を強烈に受ける必要があるのである。それが生涯を通じて一貫した彼の生き方であった」そんなこといったって 多くの芸術家はそんなところがあると思うんだけど。「これや!」というところにたどりつくまでは そういうふうになるんじゃないかな。それが 「完全に」とついてるから ピカソなのかな。たしか前にこういうところあったよね 「ピカソは もう勉強するものはなにもないとか怒鳴ってた」そこまで他者の影響を受けて行ってしまい いやはや大変な人やわ。「なにもない」と言っては また行くんや。
私は実はこの河出書房の「ピカソ」(世界の美術1963)の植村鷹千代さんの文章を10代のころ読んでいなかったんです。ゴッホのドラマチックな一生についてはよく読みましたが。で66歳になって読んでみると これがまたいいんです。今日はこれまでにします。いずれまた

ところで わたしが最初に選ぶ絵は 文とあっていない事が多い。終わりかけた頃 それに気づく。あいまいな日本人のひとりです

さいならさいなら
《 2016.02.18 Thu  _  1ぺーじ 》