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現住所は空の下

『現住所は空の下』高木護著 1989

一期一会  ミイラ坊さん

 えらい人とはどんな人のことをいうのだろう、と思うことがある。
 それは有名人でも、金持ちでも、大きな屋敷を構えている人でもないだろう。ましてや、役人だからと高飛車なやつらでも、国会議員だからと金バッチを光らせているやつらでもないだろう。そんなのはただの自己顕示欲者か、欲たれか、えらぶりたがり屋か、威張りたがり屋に過ぎないだろう。
 えらい人というのはだれにしろ、職があるなしにせよ、一人なら一人分だけ稼いで、空気やみどりや太陽に感謝し、おのれにはだれよりもきびしく、人にはやさしくいて、思いやりの心で生きている人かもしれない。
 えらい人といえば、むかし、一人出合ったことがある。戦争中、マライの奥地をぶらぶらしているころのことであった。そこはクアラルンプールから、百マイルほど這入った小さな町だった。人家が二百軒あるかないかで、そのほとんどはニッパ椰子の葉っぱで葺いた屋根の小屋だったが、通りに面して、一塊になっていた。
 わたしは何か食い物屋さんはないかと、路地みたいな狭い通りを歩いていたら「トワン(旦那)」と声をかけられた。
 一軒の小屋から、十六歳のわたしと同じ年ごろのプロンパン(マライ人の娘さん)が顔を出し、こちらを見ていた。
「わたしかいた」というように自分を指差すと、娘さんは頷いた。
「アパ?(なんじゃろうか)」
 わたしがいうと、旦那は兵隊さんかと訊いた。軍属だとはこたえないで、違うというと、娘さんは首を傾げたが、今度はどこに行くのかと訊いた。食い物屋さんを探しているのだというと、ここにあるよといった。どうやら、そこは食い物屋さんらしかった。
 いまはすっかり忘れてしまったが、そのころは片ことだけど、マライチャカップ(マライ語)がしゃべれたので、相手のいうこともおおよそ理解できたから、かんたんな会話ならできた。
 娘さんが食べさせてくれたのは、タペオカか何かの粉を焼いたものだった。塩あじがついていたが、ぴりっと辛かったから、コショウの粉でも振りかけてあったのかもしれなかった。お金はいらないというので、食い物の代金の代わりに、持っていたマラリアのキニーネをもらってもらった。
 わたしは娘さんの店に何度か通ううちに、娘さんと親しくなった。娘さんのなまえはサアナといった。家族はどこかへ行ってしまったらしく、娘さんは一人でくらしているらしかった。
 ある日、サアナが行きましょうといった。
「アパ?(どこへ)」と訊き返すと、町の横っ腹を抉る(えぐる)ようにして流れているパハン河の河向こうのジャングルに、りっぱな坊さんが小屋掛けをして住んでいるというのである。
「坊さん、アパ?」
「サマサマね」
 神様のような坊さんだという。それなら、わたしは行ってみてもおもしろいのではないかと思った。パハン河の流れのゆるやかなところから、サアナはわたしをのせたカヌーを漕ぎ出した。川幅は二、三十メートルくらいはありそうだったが、カヌーで渡るのが河向こうのジャングルへの早道らしかった。岸に着くと、そこはカヌーの着き場になっているのか、岸に上がりやすいように丸太を二、三本並べてあった。そこからジャングルの中に入った。湿地の道なき道を進んで行くと、少しだけ高見になっているところに出た。「ここよ」というように、サアナは私を振り返ったが、辺りは鬱蒼としているだけで、何も見えなかった。そこを這うようにして四、五メートル進むと、ぽっっかりと拓けたところへ出た。二畝(にうね)か三畝くらいの広さだったが、木を伐り倒し、耕して、畑にしてあり、タペオカやパパイヤを植えてあった。畑の隅に小屋らしいものが建っていた。らしいものといっても、二本の木に何本かの木の枝を結びつけ、屋根をのっけただけのもので、これでは一日に一度はやってくるスコール避けにもなりそうになかった。小屋をよく見ると、猿みたいな痩せた小男が坐っていた。
 サアナが何かいって手を上げると、小男も一つ二つ手を振って、応じた。
「あの人がお坊さんよ」
 サアナはいうと、小男の前にしゃがみ、合掌をした。わたしもサアナの真似をして、両手を会わせ、小男を拝んだ。
「いらっしゃい。こんなところへ、ようこそ」
 小男は流暢な日本語で挨拶をした。マライ人なのに、日本人ですかと訊きたいくらいだった。
「ジャングルで、ぼくは五年も坐っていますが、まだ何も得る域までは行っていません」
といい、ぼくはこの大自然であるジャングルから、たくさんのことを学びたい。教えを乞いたいといった。お坊さんだという小男の話によると、自給自足をやりながら、一日に朝夕の二食を食べ、ジャングルのふところの中に坐らせてもらい、人間とは何か、自分とは何か、生とは死とは何か、人生とは世の中とは何かを、ジャングルからまなびとり、空気や水や陽光や土のありがたさを知りたい。
勿論、食い物のありがたさも。ぼくたち人間も、この世の生きものの一種です。生きものたちは大自然のおかげで生きていられるのですよといった。人間の何かが、自分の何かが、ありがたさや感謝の何かが少しでもわかることによって、宗教の何かも、僧侶の何かもわかってくるのではないでしょうか。ぼくはミイラになるまで、修行をつづけますよといった。
 小男の眼は澄み、サファイヤのように輝いていた。ミイラになるまでとは、木喰修行のようなものかもしれなかったが、りっぱなものだと思った。サアナはサマサマといったが、お坊さんだという小男がわたしにも生き仏様に見えてきた。

***

この「ミイラ坊さん」を打ち始めて きょうはなんだかつかれているなと思いました。一日あっちに行ったりこっちに行ったりしていたからでしょう。ここんところは眼で文章を読ませてもらうだけにしようかな とも思いましたが やっぱりこうして打ってみないと
たよりないのです。それに高木さんが出合われたこの坊さんが「人間とは何か、自分とは何か、生とは死とは何か、人生とは世の中とは何かをジャングルからまなびとり、空気や水や陽光や土の有り難さを知りたい。....というようなことが書いてあるんですね。わたしもゆっくり考えさせてもらいたいと 最後まで打ってしまいました。

戦地とはいえ(命令で行くところ) こういう経験をして 生きて日本に帰ってきた人はどういう運命の人なんだろうとか....
 人間とは何か 自分とは何か 五年もその土地に坐って考えてるなんて お坊さんもすごいな。
あっ 閉店時間です。ごはんつくらな。家は自給自足じゃないんです。こんな大事そうなこと忘れてしまったらおじゃんですが 考えてみます。

さいならさいなら



《 2016.02.04 Thu  _  1ぺーじ 》