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瀧口修造

『コレクション瀧口修造』みすず書房 1991の続きです。

 昨年の三月、私はふとスケッチブックを買ってきて机の上に置いた。
 私はだいたい書くことが遅く、いつもブランクの原稿用紙が机の上にくるしそうに身をさらしていることが多い。そんなときに、このマス目のある紙と、スケッチブックの対照はいかにも印象的である。そのようなある日のこと、私のなかにくすぶっていた欲求のひとつが身をもたげてきたらしい。
 文字ではない、しかし何かの形を表わそうというのでもない線、この同じ万年筆を動かしながら、ともかくも線をひきはじめた。最初はただの棒線であった。それから、どこか震えるような線、戸惑う線、くるしげにくびれ、はじける線、海岸線のように境界をつくろうとする線、つっぱしる線、甘えるような線、あてのない、いやはや他愛のない線、そんなものが幾冊かの帳面を埋めた。
 そのうちに私は万年筆の青インクを墨インクにとりかえた。そしてやはり万年筆を捨てない。それはインクをとぎれさせないで書けるからである。書けると書いたが、そこではまだ実は書くと描くとの境が不明なのである。おそらくその不明さはどこまでもついてまわるだろう。しかし私は慣例にしたがって書くと描くとを、どこかで区別しなければならないし、区別させられるだろう。だが、それは後日の物語である。

***

ー最初はただの棒線であった。それから、どこか震えるような線、戸惑う線、くるしげにくびれ、はじける線、海岸線のように境界をつくろうとする線、つっぱしる線、甘えるような線、あてのない、いやはや他愛のない線ー

瀧口さんの表現を読んでいると、なんだかうれしくなってくる。

ー線を描く 書く どこかでくべつしなければならないし、ー
どこまで豊かに線のことを感じてるんだろう この人は。
私は どうだろう。そうだな 「なぜ 鉛筆でかくときに ぐっと力を入れて描くのか」と聞かれたら(聞いてほしいなあ)「そのゴリっと音のしそうなところが なんだか好きなんです」と答えるんだけどな。

書くと描くではやっぱり私は描く。でも「父に(亡くなった)書く手紙」では宇宙語のような文字を創り出した(笑)
従来から知っている文字であったり はじめから目的のある線というのではなく なんとなく 指を動かして できてしまった線は あとからいろんな言葉でもって言ってみても
おもしろいんだなあと瀧口さんの表現に新鮮なものを感じた。
私は絵描きになりたいと小さいとき思って続けてきたものだから この描くことの新鮮さが少ないと思った。むしろ今では書くことのほうや 読むことのほうに新鮮さを感じていること。 瀧口さんの文を読んでいて 線について これだけのことを感じられるそして表現できるなんて。
ただ 自分のやってきた絵やいろんなものを 見たりするのは 身びいきなのかうれしい。どんな作品にでも何か言ってやろうと思っている。自分は評論家でもないし だから自分の作品について言ってみることが新鮮 こういう見方もあるよね(笑)

瀧口さんいわく「文字ではない、しかし何かの形を表わそうというのでもない線、この同じ万年筆を動かしながら、ともかくも線をひきはじめた。」  いいなあ。

さいならさいなら
《 2016.02.03 Wed  _  1ぺーじ 》