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ブロンテ姉妹

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ブロンテ姉妹 そのしられざる実像を求めて 中岡洋 NHKカルチャーアワー

そーリントンでの幸福 

 エリザベスが生まれて約三カ月後、一家はハーツヘッドからソーントンに引っ越すことになった。パトリックが転任することになったのは次のような事情によるものである。ソーントンの司祭トマス・アトキンソン師(1780−1870)は、婚約者フランセス・ウォーカーの住居に近い教会に転任したいと申し出ていた。そしてアトキンソン師が願い出た場所こそパトリックの赴任していたハーツヘッド=カム=クリフトンの小さな教会であった。教会の大きさからしてこれはアトキンソン師にとってむしろ降格(地位を下げること)であった。それにもかかわらずアトキンソン師は誠実な人柄らしく、その後51年間ハーツヘッドの司祭として留まったのである。
 一方パトリックにしてみれば大きなソーントン教会への赴任は栄転を意味していた。そのうえラダイツ暴動の中心地であるハーツヘッドから逃れられることはパトリックにとってわたりに船であったのである。
 1815年5月19日(金)ブロンテ一家は伯母を含めてハーツヘッドからソーントンのマーケット・ストリートにある司祭館に移った。ここは独立した司祭館ではなく、テラスハウス形式に幾軒も並んだ普通の民家の一角である。現在もソーントン、マーケット・ストリートに変わらず残っており、玄関脇にはブロンテ姉妹誕生の地を示す銘板が嵌め込まれているのを見ることができる。
 正面に向かって右手の道路に張り出した部分は、のちにこの家を買い取った肉屋が店として使用するために付け足したものであるが、その右側の一階部分はパトリックの時代には裏庭に通じる路地となっていた。二階部分は張り出し窓になっていて、パトリックは朝、ここから通りの様子を見ていた。ところが反対にパトリックは、刃物を使用してはいけないはずの聖日の朝、ひげを剃っているところを村人から見られて話題になったというエピソードも残っている。

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パトリックは、刃物を使用してはいけないはずの聖日の朝、ひげを剃っているところを村人から見られて話題になったというエピソードも残っている。

私はこの「ブロンテ姉妹」を少しずつ読んでみているのですが、それは日本人によくある「あの あまり特定の宗教をもってないので そのような話題にはついて行けないのですが」と どこか話は最初から外国のお話を聞いているようです。「ジェーン・エア」にしても「嵐が丘」にしても でも面白かったのは 私は宗教のことにあまり関心がなく 恋愛やその人たちに起こった出来事に目を向けていたからなのかもしれません。しかし、背景に宗教を考えるときその視点はまた違うことも見えてくるのかもしれませんね。
「パトリックがハーツヘッドから逃れられることは」ここのところであの誠実なパトリックも 転任は わたりに船だと思ったんだと。人間臭くてええんです はい。

さいならさいなら




《 2016.02.01 Mon  _  1ぺーじ 》